昨日、地元の図書館で読書会。
課題図書はフランス人作家のマルグリット・デュラスのベストセラー『愛人(ラマン)』(河出文庫)。文庫で180ページ程度のことなので、通常なら読むのに然したる時間はかからない・・・はずだった。
ところがこの作品は、どうにも読みにくいシロモノで、物語が時系列順に進んでいかないのでややこしい。主人公の女が老年だったり、18才だったり、15才だったり・・・。
あるいは一人称で語られているのかと思いきや、突然、三人称になったりする。
「彼」、「彼女」、「あれ」などが頻出するんだが、その前後の文章では特定できないために、かなりページをもどして確認することも度々。
このところ続けて読んでいる海外文学(カナファーニー、ディネセン)もそうなのだが、「彼」。「彼女」の特定が難しい。欧米文学の特長なのだろうか?ワシャ的には曖昧過ぎる文学表現に違和感を持つ。
物語の内容は題のとおりで、ベトナム生まれのフランス人女性が、15歳の時に華僑の金持ちの愛人になるというもの。その中学3年くらいの女子と母、長兄、次兄、女友達、そして幼い肉体を金で提供している支那人の男などとの関係が語られている。支那人とのSEXについては、ところどころに描写されており、ワシャは読書会の中で「これは官能小説か!」と発言したほどである。それこそワシャが若い頃に月刊誌で『問題小説』というのがあったけれど、あれに載せても遜色はないとも付け加えた。そういった部分を引いておく(笑)。
《彼はわたしの期待をはるかに越え、しかもわたしの身体の運命にぴったりと合っていた。(中略)わたしは彼の肌の、彼のセックスの表現を絶した》
もっとエロい表現もありまっせ(笑)。こういった表現の箇所にはピンクの付箋(笑)を貼ったんだけど14カ所くらいあった。
講師がホワイトボードに登場時人物の関係図のようなものを描いていて、母親と長兄のところ赤い二重線でつなげた。とくに意味はなかったんだろうが、ワシャはその赤二重線でピンとくるものがあったので発言をした。
「母親と長兄は仲がよかった。母親は次兄と妹(デュラス)を虐めた。ここから逃避するために次兄と妹には肉体関係に近いようなものがあったのではないか?」
『愛人』を読んでいると、次兄とのそういった描写はなかったものの、デュラスから次兄への濃厚な思慕のようなものが行間から感じられた。
この疑問に対し参加者は「え~」、「それはないよね~」とかざわついたけれど、講師は、一冊のデュラス関係の本を示し、その本に「近親相姦」というフレーズがあることを指摘した。おおお、適当にしか小説を読まないワシャもたまにはまともなことを言うか(笑)。
読書会自体は、メンバーが映画の『愛人 ラマン』のパンフレットを持ってきていた。1992年のものである。34年前のものだったので、それで話が盛り上がってしまった。2人がその時期に映画で観ていて、映像で得た情報というのはやはり強いから、どうしても映画のほうのストーリーが話題になってしまう。ワシャは90年代前半は凸凹の企画部門で、それこそ深夜まで働いていたので、この時期の映画はほとんど観ていない。
だから映画についてはなんの反論もできないが、パンフレットを見る限り、物語は15歳の少女と中年華僑の恋愛ものに仕立てられている。これが違う。デュラスの原作では、その「少女買春」のことも描きながら、親子、兄妹、レズなどのことも複雑に描かれている。映画は一点だけに焦点を当てたために、『シネマクラブ1993』での評価は☆2つ(並)しか出ていない。
では本の方はというと、複雑な人間模様が時系列バラバラではあるが解説されていて、なんとか読み取ることができた。これが1984年の発売当初にベストセラーになったということが本の袖に紹介してあったが、「官能小説」としてフランス人の興味を引いたのではないか(笑)。