愛知県の先細り

文藝春秋』に寄稿された大村秀章愛知県知事の《私は河村たかし市長の嘘を許さない》について。

 総字数9000に及ぶ大論文である。原稿用紙22枚余に恨みつらみを書く時間があるとは、知事ってわりと暇なんですね(笑)。

 さて、内容である。全部で9章からなっている。まず「序」ではおおよそ800字を使って「なぜ私が河村氏を許さないか」を書き連ねる。特徴的なのは、800字程度の中に「嘘」という言葉が13回出てくる。「ミスリード」、「偽造」、「捏造」、「事実と異なる」なども含めると18回。さらに「クーデター」が3回、「民主主義の神聖な原則が踏みにじられる」「民主主義をぶち壊す」「度を超えた今回の事態」「政治家としての資格などひと欠けらもない」などの物騒なフレーズが散りばめられている。これでおよそ8分の1。あとは、トランプ氏を攻撃したアーノルド・シュワルツェネッガー氏の言葉の引用で300字。「名古屋市長選で別の人を応援する」で100字。これだけ誹謗が多いと、なんだか恨みつらみだけで書いているようで悲しい。

 要約すれば「河村は嘘つきだ、嘘つきだ、嘘つきだ。トランプと一緒だ。河村は俺様に対してクーデターを仕掛けた。それは民主主義を破壊するものだ。この一連の捏造事件について説明責任を果たせ。おまえなんか政治家としての資質のひと欠けらもない」ということですな。

 ここで見るべきは、自分に対するリコールの「署名偽造の件」と「あいちトリエンナーレ」の事実関係をうまく混同させているところであろう。どっちについても「事実と異なること」で、自分を攻撃しているのだと言っている。ここでごちゃまぜして後半にうまくすり替わるように誘導していますね。

 その上で、「説明責任を果たせ」と強弁する。この「説明責任」という単語も、3か所に出てくるから、大村知事のはらわたは煮えくり返っているのだろう。でも、これってブーメランで自分に返ってくるのではないか。なにしろ、「あいトリ」の中止から再開、その後の皇居でのイベント出席に至るまで、まったく「昭和天皇を扱う作品」や「特攻隊員を貶めるゴミ」に関しての説明責任を知事自身が果たされていないのだから。

 第2章は「署名の大量捏造」と題されて、その件についての事実が羅列されている。昨年の8月下旬から2カ月間、リコール署名活動が行われたこと。署名数は43万余であり住民投票に必要な法定数に届かなかったわけで、普通のリコールであればここで終わりであった。しかし、2月1日に愛知県選挙管理委員会が「勝手に名前を使われた」という指摘によって、全筆を調べた結果、90%の無効署名が確認されたと発表した。さらに2月16日には中日新聞から、「佐賀県内で署名簿の偽造がなされていた」ことがスクープされた。

 流れはこのとおりで、この部分は年表を読んでいるようで判りやすかった。

 でもね、ここにいろいろな疑問が生じてくるのである。

 通常なら法定数に達していない名簿には、それが判明して以降は手を触れない。筆数はカウントするけれども、その数で全てが決まるのだから、43万余なら、もう触ることもなく鍵のある書棚にしまってしまうのが当然だろう。

 かなり前にも愛知県でリコール運動があった。その時は法定数に達しており、各選挙管理委員会は選挙人の名簿と突き合わせるという膨大な作業に追われた。でもね、リコール運動を「是」としない団体、集団からの問い合わせやクレームなどはほとんどなかった。法定数に達していてもそんな雰囲気だったのに、今回のように成立しなかったのだから、普通に考えれば「否定派」にしたら万々歳なわけで、そのまま無視をしていればいい、勝手に相手が自滅していくだけのことなのである。

 ところが今回は、あちこちから声が上がった。前にもここに書いたかもしれないが、左翼系の市議会議員が、前住所まで追跡して、その自治体に照会をかけていたり、知事に非常に近いところの人間が、あちこちの議員に「名前を使われているかもしれないので選管に確認をしてほしい」と依頼をしているような話も聞いている。

 おそらく、県内の自治体選管には11月くらいには、議員も含めいろいろな人からの確認が入っている。これは申請書が選管に残っているから確認するのは簡単だ。

 つまり、愛知県選挙管理委員会が――大村論文の言葉をそのまま使えば――《“驚愕の事実”を公表する》2月1日以前に、特定の人物たちは、署名簿の内容について疑義があることを知っていたことになる。でなければ、普通は不成立となった案件に対して、これほど血道を上げて追及することはないだろう。

 とにかく大村シンパには11月に大号令がかかり、それぞれが管轄の選挙管理委員会に対して確認を行っている。それを受けての2月1日の発表であり、2月16日のスクープと続いていく。

 これを受けて大村知事はこう書いている。《中日新聞のスクープには目を疑いました。》って、どう考えても、11月には知っていましたよね(笑)。

 3章以降は、《食い違う河村氏と高須氏の説明》、《「国会議員年金廃止」の嘘》、《「庶民のための減税」の嘘》、《「名古屋城計画」の障害者差別》と、4章を割いて、「署名偽造」とも「表現の不自由展・その後」とも違う、河村市長への誹謗で選挙妨害まがいのような内容が連ねられている。それを今、この時期に出しますか?仁義を欠いちゃぁいませんか?

 6章の末尾は、「そんな嘘つきだから私は河村氏と袂を分かった」と言っているが、地元で河村市長と大村知事のあれこれを見る限り、嘘つき度は、五分五分、下手をすると四分六分、高須先生のような愛国者から言わせれば、一分九分くらいに見えてしまう。

 7章になり、ようやく《「少女像」炎上で大村追放を画策》と、「あいトリ」の話が出てくるが、ここも捏造というか、あえて触れないというか・・・。

 そもそも、高須先生や河村市長が重きを置いているのが「昭和天皇を扱う作品」や「特攻隊員を貶める作品」のほうなのである。そこはうま~く避けて、「慰安婦像」に特化して逃げようとする姿勢が見て取れる。そこのところの「説明責任」を、まず果たしなさいよ。

 第8章は《第三者委員会で嘘が次々に露見》と題し、河村氏の疑義に対して第三者委員会からの回答を載せているが、その回答が大村知事擁護のための回答で、むろん多くのまともな識者たちが納得できる内容にはなっていない。

 あの「日本学術会議」があれほど「学問の自由」を楯に大騒ぎをしていたのが、いまや、ひっそりと静まり返っているでしょ。あの人たちはある意味で利口なんですよ。

 しかし、相変わらず「表現の自由」を楯に(ほぼ己のプライドの高さゆえに)問題を荒立てている知事がお利口かどうかははなはだ疑問ですな。

 終章は《コロナ下でなされた暴挙》と題されている。名古屋市が「トリエンナーレ」への負担金の三回目を「不払い」にしたことを暴挙と言っている。そしてリコール運動を起こしたことにも、「コロナ対応をしている中で憤りを覚える」としている。

 ううむ、これも履き違えている。コロナ対応はコロナ対応、これは名古屋市も愛知県もしっかりとやっていく。だが「民主主義」の根幹に関わる「首長の暴走」については(あったかなかったはその後の住民投票で決着させればいい)、どんな状況であろうともリコール実施をすべきだと思っている。

 むしろコロナ下であるにも関わらず、名古屋市を訴えたのは知事のほうで、騒ぎを大きくして職員を煩わせているのはどちらか?と言いたい。

 大村知事が、病的に負けずぎらいだということは有名な話だが、「文藝春秋」の紙面を使ってまで、この時期に河村市長を攻撃するのはいかがなものか。少なくとも2人が手を取り合って愛知県知事選、名古屋市長選に出てきたころは、蜜月であったはずだ。おそらくは河村市長の力がなければ、大村候補は落選していた。

 そういった過去もある。そこには一縷の義があってもいいのではないか。対立はあっていい。しかしいったん事が終わればノーサイドで地域のために力を尽くす、それが賢人というものではないだろうか。