ハルパゴスの凄み

 ヘロドトスの『歴史』の中に、メディア王国(BC625〜BC550)の将軍をつとめたハルパゴスという男が出てくる。
ペルシア人はインド=ヨーロッパ系のアーリヤ人の一派で、イラン高原南部に移ってきてメディア王国に服属していた。前550年、その王キュロス2世はメディアの政権を奪い、つづいてリディア、新バビロニアを併合してペルシア帝国を建設した。》
 上記は東京書籍の『世界史B』の記述である。残念ながらハルパゴスの名はないが、このペルシア帝国建設に大きな力を発揮した。
 ハルパゴスはメディア王のアステュアゲスに仕えていた。『歴史』を読む限りでは、アステュアゲスは王としていささか軽率なところのある人間である。夢占いを信じ、占い師のネガティブな言動を鵜呑みにした。詳細は省くが、自身の娘を占い師の言うとおりにペルシア人のところに排除し、その娘に子が生まれると、その子が、行く末に王座を奪う危険性があるという理由で抹殺しようと謀る。実の孫を己の地位の保全のために殺すというのである。ほとんど阿呆と言っていい。
 この不運な役を仰せつかったのがハルパゴスだった。王から手渡された赤ん坊を抱えて家に帰ったハルパゴスは「このように無残な人殺しの務めを果たす気はない」として、結果、その子の命を救う。
 このことが後年になって王にばれてしまった。王はハルパゴスを詰問し、ハルパゴスは王の孫の命を救った経緯を語る。全容を聴いて王は、この件でハルパゴスに怒りを抱いていたにもかかわらず「孫が生きていたことはまことに結構なことである。娘からも責められて孫に加えた仕打ちを悔いておった。めでたい結果となったので、祝宴をしようではないか。お礼もかねてお前も食事に招待しよう。あ、それからお前(ハルパゴス)の息子を孫のところへ寄越してほしい」と言い出す。
 ハルパゴスは罪に問われると思ったのだが、王の寛大な処置に喜び息子を送り出し、その後、王の主催する晩餐会に出席するのだった。この晩餐会でハルパゴスはきわめて深い屈辱を与えられる……。
 この部分は割愛する。この部分のエピソードを知りたい方はヘロドトスの『歴史』を読まれるか、もしくは岩明均『ヒストリア』の第1巻をご覧いただきたい。
 続ける。その屈辱を突き付けられても、しかし、ハルパゴスは泰然自若としている。
「王のなされることにはどのようなことでも、私は満足でございます」
と言い切って、王の信頼を得る。その後もハルパゴスはアステュアゲス王の信頼にこたえ、第一の忠臣として何事もなかったかのように仕え続けた。
 ここがハルパゴスの凄さである。
 ハルパゴスの胸中には、晩餐会の屈辱に対する黒い炎が燃え盛っているにもかかわらず、何年もの間、微塵もそのことを面にあらわさなかった。ただひたすら、命を救った王の孫(キュロス2世)が成人する日を待ち続ける。それにしても黒い炎に内側から焼かれながら辛抱する日々は地獄だったろう。想像するだに恐ろしい。
 やがてキュロス2世が成人する。ハルパゴス、機が熟したと見るや、すぐに行動を開始し、キュロス2世と手を結んで、アスデュアゲスのメディア王国を滅ぼす。これがペルシア帝国建国にまつわる話である。
 恨みが国を転覆させる原動力になったわけなのだが、これが興味深いのは、ハルパゴスの積年の恨みを、相手のアステュアゲスがまったく忘れていたことである。彼我においてこれほど認識の差があるというのが現実なのかもしれない。