白頭を悲しむ翁に代はる

 唐時代の人、劉希夷(りゅうきい)の詩である。冒頭だけ記す。

 洛陽城東 桃李の花
 飛び来たり 飛び去って 誰(た)が家にか落つ
 洛陽の女児は 顔色を惜しみ
 行々落花に逢うて 長く嘆息す……

 人生の衰えやすいことを嘆じたエレジーである。花の命は短く、少女たちの容色はあっというまに衰え、ときわの緑を誇る松柏も、いつかは薪となる。また、桑畑が一夜のうちに変じて海の底に沈んでしまったという話も聴く。

 これらに続いて「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」と続くのである。

 先生は、小学生に漢詩を教えてくれたんだな。他の部分は忘れてしまっても、この「年年歳歳 歳歳年年」のところはしっかりと脳裏に残っている。

 その先生は「学級応援歌」というのを作った。

「碧海が原の天高く さみどり渡る風清し 希望と自主の旗のもと 刎頸比翼の肩組みて ここに集えるいざわれら 六桃健児の意気を見よ」

 これが1番。「刎頸比翼」ですよ。小学生で解かりませんわ。2番には「幾度臥薪の夢に泣き 忍従の盃は苦かりき……」3番には「干将莫邪の利剣あり 鎧袖一触即発の……」この詩を、第一高等学校寮歌の「嗚呼玉杯に花うけて」のメロディーで歌ったものである。
 俳句も短歌も作文も書かされた。教室で勉強していることよりも、校外学習の多い先生だった。この先生が教え子たちに施してくれたことが、今でも体のあちこちに残っているような気がする。
 すべて先生がガリを切って印刷製本までした手作りの文集を開くと、あの先生が6年桃組の子供たちみんなを愛していたんだなぁ……ということがよく理解できる。
 あまり御出世はされなかったと風の便りに聞いたが、あれだけ子供たちに親身になっていると出世コースからははみ出してしまうだろう。
 
先生、お元気ですか。