核は持ちこまず、歴史は中国の都合のいいように2

(上から続く)
 もう一つ、「歴史通7月号」(ワック出版)に、日中歴史共同研究の愚かさについて京都大学の中西先生が論を寄せている。その中でこう警告する。
《「反中国的な歴史家」やその著作を取り締まれと、そういう外交的圧力を発揮するための手続きとして、中国は「日中歴史共同研究」をやっているとしたら、大変な禍根を残すことになる。》

 三浦朱門さんが『老い甲斐 死に甲斐』(海流社)にこんなことを書いている。
《日本の自然は実り豊かで、東北の冷害が時折襲うことを例外として、自然は常に日本人に優しかった。》
 この文章のあとに、キリスト教イスラム教、ヘブライ教が生まれたパレスチナ西部のカナーンの地について触れる。
《乾燥地帯では太陽はもはや、植物を育てる神の恵みではない。それは生命をむしばむ、恐るべき敵である。》
 太陽を神として崇め、自然を恵み深い存在としてとらえる日本人、太陽を恐ろしいものとして、自然は克服すべきものだという哲学をもつ欧米、イスラム、中国の人々と、相互理解しようなんざ、百年経ってもできないわさ。

「核を持ち込むな」って言ったって、厳然とした世界戦略の前には日本人のたわ言など踏みにじられるし、人のいい日本の歴史家は、中国の歴史観をそのまま鵜呑みにさせられて恥じる様子もない。

 世界の中で日本は、歴史、風土、思想、言語、民族で極めて特殊な存在であるということを自覚しなければ、自然を敵と見なす連中にやられっぱなしなってしまう。

 CO2が増加して困るのは、日本人ではない。太陽を敵とする欧米、イスラム、中国のほうなのだ。それなのになぜ日本人ばかりがC02削減に莫大な資金を投入しなければならないのか。もうそろそろ目を醒ませよ。

 因みにワシャは「CO2」ですら自然だと思っているので、排除しようなどとはこれっぽっちも思っていないんですけどね。