「ダ・ヴィンチ」に呉さんが

 仕事が立て混んでいて、なかなか本を読む時間が取れない。とは言っても、仕事関連の書籍や分厚い書類は朝から晩まで読みこまなければならないので。活字に対する飢餓感はない。でもね、社内で回ってくる書類の文章というのは、なんでこんなに酷いんでしょうね。たまに吐き気をもよおすことすらある。例えば語尾の「〜ました。」10連発とかね。事務文書だから、それでもいいのかもしれないが、もう少し気を使った美しい文章が読みたいものだ。
 だから、仕事帰りにはどうしても本屋に寄って、リハビリをしなければならない。

 昨日もいつもの本屋さんで、本を物色していた。雑誌の棚の前で、ワシャの活字センサーのアラームが鳴るんですね。何かのキーワードが目に触れたようですぞ。おおお、「ダ・ヴィンチ」7月号の表紙に《「ゲゲゲはニーチェなの?」呉智英インタビュー》と書いてある。ワシャのセンサーは「呉智英」という文字に反応したということか。パラパラとページを繰ると、おおお、薄い小豆色のソフト・ハットを被った紺のジャケット姿の呉さんが大きく写っているではあ〜りませんか。呉さんの横に、呉さんの新刊の案内があった。『言葉の煎じ薬』(双葉社)が6月15日の発売とある。早速、カウンターで注文をしておく。
「ゲゲゲ」つながりで、水木しげる『水木サンの幸福論』(角川文庫)を購入。日曜日に花柳流の日本舞踊を見たこともあって、ついつい『日本舞踊ハンドブック』(三省堂)を買う。げげげ、日舞の流派が125もあったとは、驚き桃の木サンショの木だわさ。その他に「歴史通」の7月号、雑誌を2冊、カウンターに行くと、注文しておいた、島宗理『パホーマンス・マネジメント』(米田出版)もあったので、それも受け取って帰宅する。

 家に帰ってから、呉さんのインタビューをしっかりと読む。取材者はどうしても水木しげるニーチェを関連付けたいらしく、呉さんに必死に食い下がるが、呉さんはそんじょそこいらの日和見評論家とは訳が違う。正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると断言する人だ。絶対にインタビュアーの都合のいい解釈などに与する人ではない。だから、最後まで呉さんとインタビュアーは食い違ったままである。呉さんの最後のセリフはこうだ。
「だから最初から違うって言っているのに!」
 呉さんの甲高い声が耳朶によみがえって、つい笑ってしまった。