酔笑人神事 その3

(上から続く)
 要するに、神官たちが「影向間社」「別宮」「清雪門」を巡って、大笑いをして神楽殿前に戻って来るという儀式である。もちろん、これには由緒がある。

 熱田神宮御神体は「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」だよね。「草薙神剣」の由来については説明しないけれど、この神剣が一時期熱田神宮を離れて、皇居に奉斎されていたことがある。それが朱鳥元年(686)、勅命によって熱田神宮に還座された。そのことを喜んだ様子を今に伝える神事であると言われている。でね、この3箇所が、そのことにみんな関わっているのだそうな。
 まず、「影向間社」は、皇居から還座されたときに、本宮修築中のために神宮神職の田島家の一間を影向間(ようごうのま:神仏が一時お姿を現すところ)と定め、そこに奉安し、ご守護申し上げたというエピソードがある。それに因んでいるのだ。
「別宮」は、和銅元年(708)に宝剣を新たに鋳造し創祀したことに因む。
「清雪門」は、天智天皇7年(668)、新羅の僧が、神剣を盗み出して、この門を通ったことに由来する。以来、この門は不吉の門として忌まれたともいわれている。神剣還座の際に、門を閉ざして再び神剣が外に出ないように不開門(あかずのもん)とされた。
 ふ〜む、つまり「酔笑人神事」は、この神剣盗難事件、宝剣鋳造、神剣還座をまでの物語を反対に辿っているようだ。神剣が戻ったことを喜び、宝剣が鋳造されたことを喜び、その上で窃盗が無駄であったことを喜ぶ。時を逆回転させて、事件そのものを無かったことにして、神剣の穢れを祓ったということかもしれぬ。もちろん偶然だろうが、神官たちが右回り――時計の針の動きと反対――に巡っているのも、何かの符合のようで面白かった。

 この神事の由来は「日本書紀」にある。朱鳥元年6月10日の記事に《(天武)天皇の病を占うと、草薙剣の祟りがあると出た。即日、尾張国熱田社に送って安置させた。》とある。もしこの記事が事実なら、この神事は、1324年の伝統をもっているわけだ。
 ただね、「笑い」の要素ばかりのこの神事、奈良、平安というより、室町の雰囲気をたくさん持っているような気がするんですな。闇の中での高笑いを聴いていて、狂言の「笑い」を思い出した。とすれば、やはり室町か。