宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)の中に、「土佐源氏」という章がある。この章がめちゃめちゃおもしろい。高知県梼原村(現在は町)の橋の下に住まう盲目の老乞食の女性遍歴の話で、だから「土佐の(光)源氏」という題がついているわけでもある。よくぞ宮本先生、そんな絶対に後世に残ることのない話をヒヤリングして書き残したものだ。そのあたりの話は、皆さん、それぞれ読んでくだされ。それよりも、この老乞食が梼原に居つくことになる経緯が、ワシャの興味をそそった。
この老乞食、50歳の頃に梼原に妻の乞食とともに流れてきた。それを梼原の大旦那が「目が見えいではどこで暮らすも同じじゃろう。人様に迷惑をかけさいせねば、飢えさせはせんものじゃ」と言って、橋の下に棲みつくことを許可する。老乞食は村人の慈悲にすがって30年をそこで暮らしているのだそうな。すごいセイフティネットがあるものだなぁ……と思ってしまった。
まったく見ず知らずの流浪者の夫婦を、この村は――大旦那の意向とはいえ――受け入れ、そして飢えさせることはなかった。死んでからどうなったは、書かれていないけれども、きっと村の共同墓地かどこかに手厚く埋葬されたことだろう。
日曜日のNHKスペシャルで「無縁死」が取り上げられていた。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100131.html
現在、年間に32,000人の人が孤独にひっそりと死んでゆく。それを「無縁死」と呼ぶらしい。彼らは、都会の片隅で頼るべく身内も地縁もコミュニティなく、その死は誰にも看取られることはない。遺体は自治体が火葬し、お骨は無縁墓地に埋葬される。遺品は整理屋が片付けて、その人の生きた痕跡は完全に抹消される。死んで数日もすれば、無関心だった隣人たちの記憶からも消えてしまう。そこには「無」があるのみである。ああ無情。
すべての縁故、コミュニティから切り離されて無縁死する32,000の人と、梼原の橋の下で最下層の住民としてだが、コミュニティに抱かれている老乞食とどちらが幸せなんだろう……。