オーニン

 シリア、イラクの状況が混沌としている。後藤健二さんに続いてヨルダンのパイロットの殺害映像が流れた。首をナイフで切断したり、檻に閉じ込めて火あぶりにするなど、近代以降の人間の感覚では考えられない。

《戦火をさけて河原に野宿し、家を焼かれて逃げまどうのは、たしかに戦地の人民一般の姿であった。》
《村を逃げだし、また追放されたもので、かれらは文字どおり流民・乞食になるよりほかなく、とどのつまりは街頭で野たれ死であった。(中略)盗賊や乞食の集団に生きる道を見いだしたものは、そのなかのいわば恵まれたものであろう。》
《飢えに見舞われる冬から夏への端境期の戦場は、たった一つのせつない稼ぎ場であった。そこには、村にいても食えない二、三男坊も、ゴロツキも悪党も、山賊海賊や商人たちも殺到して、活躍した。戦場にくり広げられた濫妨狼藉、つまり略奪・暴行というのは、「食うための戦争」でもあったようだ。》
 こんなものもある。
《煙に追われて駆けてきた老婆が、ラリヂヤ ラリ ラリヨ と、辻で踊りだし、にわかに倒れたのを見た。抱きおこすと、息がなかった。裾がはだけ、ほとの毛が鬼々しげに白ばみ、生ある頃のうらみを嘯いているかのようである。》

 冒頭に中東の話を持ってきたが、その後の4つの文章は、シリア、イラクとはなんの関係もない。「中東の話?」と少しでも思っていただいたなら、目論見がなったということで、少しうれしい。
 上記の4つの文章は「応仁の乱」に関わる文献から拾ったものである。とくに最後の文章は、司馬遼太郎の『箱根の坂』の京の描写の中から選んだ。「乱離ぢや らり らりよ」をカタカナにしてみた。やはり司馬さんの文章は格調が高い。文章にリズムがある。
 ちなみに「乱離」とは「乱離骨灰」の略で「ちりぢりに離れ散ること、めちゃめちゃになること。

 このところのシリア、イラクの野で繰り広げられる凄惨な話を聞くたびに、応仁の乱のことを思い出していた。ISILは応仁の乱の頃の山賊、野伏せりの類が最新鋭の武器を装備し、インターネットを手に入れてしまったということに他ならない。
 応仁の乱足軽、牢人、盗賊、乞食が入り乱れ、京洛の野を焼き払い暴れまくった。弱者を殺し、女を犯し、子供を攫っていく。いまだあの地域は中世の闇の中にある。

 昨日は、応仁の乱を引き起こすことになる将軍足利義政が東山山荘(その一部が銀閣寺)の造営を始めた日。