忠臣蔵の話

 大成駒(六代目歌右衛門)がこんな話をしている。
 戦時中の大阪中座で「忠臣蔵」をかけたそうだ。名女形の大成駒は塩治判官(えんやはんがん/浅野内蔵頭)の妻の顔世御前を演じた。大成駒が20代の頃だから、こいつぁ綺麗でしたでしょうね。
 さて物語は、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の社前から始まる。足利尊氏に敵対した新田義貞の兜を八幡宮に奉納するということになった。その兜を真贋を確かめるのが、新田義貞と面識のある顔世である。
 顔世は尊氏の弟の直義や夫の前で兜あらためを無事に終える。直義以下は兜とともに社殿に入るが、前々から顔世に懸想する高師直(こうのもろのう/吉良上野介)はたった一人残った顔世に言いよるのだった。当然、顔世は師直を撥ねつけるのだが、このことが怨みとなって、師直と塩治判官のいさかいがあり、第一事件の松の廊下刃傷へとつながっていく。
 この舞台で敵役の師直を演じたのが二代目実川延若だった。この人、大阪中座の頃は還暦を迎えていたが、60をこえても色気のあるいい俳優だった。そのときのことが、関容子『芸づくし忠臣蔵』(文藝春秋)に大成駒の発言として載っている。
《花道七三に手をつかえて本舞台を仰ぎ見ると、河内屋のおじさんの師直が機嫌よく身を乗り出して、わたくしのほうを見つめている。その師直の結構なことと言ったらね、ちょっとありませんでしたよ、その色気。内から外へジワリとにじみ出てくるような男の色気、これじゃあ顔世も困っちゃう、困っちゃっただろうし、ねえ、これが発端なんだなあ、と思いました。》
 若き大成駒が花道を入ってくる。延若は舞台中央でそれを見つめている。七三で立ち止まる大成駒は匂い立つような美女だった。無類の女好きと噂された延若は感じてしまったんだろう。
 師直は顔世御前に「いかがでござる顔世どの、いかがかな、いかがかな」と耳元でささやきながら抱きしめるのだが、この時の大成駒の回想がこうだ。
《ギューッと抱きすくめられると、何だかクラクラして、ゾクゾクと気が遠くなりそうで、思わず目をつむってしまったものですよ。》
 舞台で二人は男と女になっている。ううむ、こんな凄い舞台を見たいものだが、佐団次師直、福助顔世では期待薄か……