多治見という地名について

 ワシャは地名に興味がある。
 だから、「たじみ」という地名の語源が気になって仕方がない。会議の後に市役所に顔を出す用事があったので「地域の情報は役場にあり」である。それらしい課名のついた部署に行って、そこで、多治見の簡単な歴史が解るパンフレットのようなものがないか尋ねた。
 係員は気の毒そうな顔をして「ありません」と言うではあ〜りませんか。
「どこかにありませんか」と重ねて聞くと、「図書館だったらもしかしたら……」と言う。場所を確認すると、ちょうど帰りに通る多治見駅の近くにあったので、立ち寄ってカウンターで同様に尋ねたが、答えは同じだった。
「ありません」
「なにかそれに類するもの、多治見の歴史がわかる資料はありませんか?」
「多治見市史くらいしか思い当たりません」
 市史は市役所にもあった。でもね、分厚い市史を紐解いている時間などないから、ざっと簡単に見渡せる概要を求めているのだが、これでは、どうにも埒があかない。
 これ以上時間を無駄に出来ないので、要領を得ない係員を尻目に郷土資料のコーナーに行く。
(物色中物色中物色中……)
 確かに多治見市史を簡略にまとめた冊子は見当たらない。「諦めるか」と思った瞬間、ワシャの目がある本を捉えた。ピーンと来ましたぞ。題は『わたしたちの多治見市』というものである。「わたしたち」がひらがなで書かれている。小学校3〜4年生の副読本だろう。手にとってパラパラと繰ると、ありましたがなぁ。巻末に「きょう土のうつりかわり」という項があって、そこに石器時代から現在までの簡単な年表が掲載してある。
 ふ〜ん、937年に田只味(たしみ)という郷名が初出するのか。1200年代に土岐氏が美濃の守護となり、その一族が多治見を治めた。その流れに太平記に登場する多治見国長が登場する。ううむ、概ねの多治見市の歴史は解った。そこで多治見の語源である。
「たじみ」「たしみ」「たじひ」などを調べると、多治比(たじひ)という古代の有力氏族の存在に当たった。天皇の食事の準備や警備にあたる職掌で、広く諸国に分布していたという。そこから多治見という合名が生まれたのか。
 あるいは虎杖(たじひ)という植物がある。別名を「イタドリ」とも言う。多治見盆地にはこのイタドリが群生していたのかもしれない。岐阜県内には板取というそのものズバリの地名もあるから、「たじひ」から「多治見」という線も有力だ。
 でも、そんなことは『わたしたちの多治見市』には書いてないのだった。
 
 今日、理容室に行った。