橋本龍太郎

 典型的な政治家二世の顔つきだったよね。代議士の息子として東京に生まれて東京に育った。何不自由なく田園調布小学校、麻布学園中学、麻布学園高等学校、慶應大学と進み、父龍伍の死去に伴ない、26歳で岡山2区から立候補初当選を果たす。
 残念ながらこの経歴では、「苦労」なんて見たことも聞いたこともない人生だったろう。これでは庶民の痛みとか苦しみなどは想像すらできない。歴代の首相の中でも「お坊ちゃん」という呼称が一番似合った政治家だった。外国に対してはやたらと謝罪しまくっていたが、新聞記者に対していは居丈高だったよね。いかにもお坊ちゃんの内弁慶らしさが出ていて笑えたもんじゃ。
 この人の映像を思い出すといつもタバコを吸っていたという記憶がある。そう思って『橋本龍太郎全人像』というヨイショ本を紐解いてみると、「チェリーを1日40本」とあった。ヘビースモーカーだよね。あるいは喫煙が寿命を縮めたか。
 そうそう小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』の中に足元総理という人物が出てくる。「遺憾!遺憾!遺憾の意!」と土下座の連打を繰り出して、テロリストの足の甲を頭突きで骨折させて勝利するという極めつきのキャラクターだ。同書の中に出てくる権力者キャラの中でも足元総理は素敵ですぞ。

 昭和47年、時の自民党総裁佐藤栄作は自身の引退において後継者指名をしなかった。それは自派(佐藤派)の田中角栄ではなく、岸派の福田赳夫に譲りたいと考えていたからである。この一連の政争を「角福戦争」という。この時、父龍伍の関係で可愛がってくれた佐藤栄作から「総裁選は福田を支持してくれ」と頼まれたが、「佐藤派から候補者が出ている以上、他派の候補を支持できない」と一蹴したという。これを橋本の武勇伝として書いている本もあるけれど、すでにこの頃には田中角栄の多数派工作に取りこまれていただけのことである。
 すでに日歯連献金事件で、早々と代替りを済ませてしまった橋本さん。「福祉国家の建設に全力をつくす」と言っていたけれど、足元に火がつけばさっさと政界引退をしてしまった。その無責任さ、変わり身の早さも育ちがいい所以であろう。
 ご冥福を祈る。