夜が明けて、故郷は遠くなりにけり

「谷間の笹の葉を分けて 凍れる露を飲まざれば 誰が身にしめむ白雪の 下に萌え立つ若草を」
 藤村が郷里の木曽馬籠へ旅をしたおりに、姉の家で書いた詩の一章である。
 今、藤村の故郷、長野県木曽郡山口村が揺れている。地震で揺れているわけではない。隣接する岐阜県中津川市との越県合併の話が喧しく、それで住民が大きく揺れている。このため合併の賛否を問う住民投票が22日に実施され、賛成が反対を大きく上回った。
 賛成派は地勢的条件を掲げている。確かに木曽川沿いの山口村は、岐阜県中津川市坂下町と生活圏をともにしており、長野側で中津川規模の都市へ行こうとすれば、木曽山脈を山越えし飯田へ行くか、あるいは2時間かけて19号線を北上して塩尻へ出なければならない。利便性からいえば越県合併が正解だろう。
 反対派の反論は、「木曽の藤村は長野県でないといけない」とか「心情的には信州人でありたい」とか、やや説得力に欠ける。木曽は「続日本紀」のなかに「美濃国岐蘇(きそ)山道」とあり、大宝(701〜705年)のころは信濃ではなかった。江戸期は名古屋藩領となっていたし、必ずしも信州でなければならないという論法にはつながらない。
 すでに馬籠は観光地化されており、木曽路はすべて山の中という風情は薄くなっている。藤村が「血につながる 心につながる 言葉につながる ふるさと」と思いを寄せた故郷は、経済活動あるいは地域おこしという正義の前に、消えざるを得ないのかもしれない。
 そう考えると、情緒的な反対論者の気持ちも少しは分からないではない。