今日の朝日新聞

 今日の朝日新聞「声」欄。《本を借りるのが怖くなった》という神奈川県の39歳女性の投稿である。

 要は、図書館で借りた本に落丁があり、これ以上悪化させてはいけないと思って、充分に気をつけて我慢して読んで。読了後、図書館に返却したところ、サービスカウンターで「あなたの取り扱いが悪いのでボロボロになってしまった。弁償して欲しい」と言われたのだそうな。

 この投書を読んで、投稿者が神奈川県の人だったことから、ある民営の図書館を思い浮かべた。

 その図書館は、佐賀県武雄市で失敗した民間図書館と同系列の経営だった。見に行ったことがあるのだが、これが酷かった。カフェと新刊書店が併設されているのだが、そのあたりは綺麗になっているんですね。でも、図書館部分はすみに追いやられて、蔵書もかなり古びたものとなっていた。「民間が介入すると儲けを生まない部分は惨めなもんだな」と思ったものである。

 その図書館を思い浮かべた。違うかもしれないが、そのサービスの悪さから、某民営図書館が脳裏をよぎったのだ。

 ワシャの知っている愛知県の公営図書館ではそんなことは絶対にありえない。まず落丁本を貸し出すようなことがないからである。貴重本で落丁があっても貸し出す必要があれば、どういった状態かをつぶさに記録して、そのことを利用者に理解してもらってから貸し出す。でも、返却時に、貸し出した時になかった破れや、水濡れなどが確認されることもあるが、それは確認はさせてもらうけれど、「知らない」と言われれば、そのまま引き取り修繕するか、買い替えることになる。

 ああ、うちの図書館はまともでよかった。

 

 今日の「朝日川柳」。

「偉そうな奴ほど突然卑怯者」に笑った。

 

今日の「ひと」欄。

 全国の朝鮮学校をぜんぶ訪れた元日教組の教師が紹介されている。《幼稚園から朝鮮大学校まで国内の朝鮮学校67校を、2017年6月から半年かけて訪ね歩いた。》って、どうぞお好きなように、という話で、特段に新聞の紙面に紹介するほどの話でもなかろうに。

 このオッサン、高校授業料無償化制度から朝鮮学校が除外されたのは違法だとしている一群の人物らしい。おいおい、教室に金日成金正日の写真が掲げてある学校だぜ。なんでそんな学校に日本が補助しなければならないのか!母国から支援してもらうのが筋だろう。こういういかにもな人物をさりげなく紙面のあちこちに配するのが朝日新聞のやり口で、その姑息なやり方を見つけるのが快感になってしまって、朝日新聞を止められない。

 一時期に公職についていたことがあって、その頃に、共産党の市議から「赤旗を取れ」と電話が掛かってきたことがあった。電話に出て「朝日新聞を取っているんで」と言ったら「あ、そうですか」と納得されて「赤旗」を取らずに済んだということがあった。それほどの効き目が朝日新聞にはあるんですね(笑)。

 

 今日の「地方版」に、《肘融点再開を 署名が1万筆超》という見出し。

「あいちトロエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の企画展「表現の不自由展・その後」を再開しろと左巻きの皆さんが署名集めに奔走して1万筆をあるめたんだとさ。ありゃま。中止決定がされてから1ヶ月が過ぎようとしているのに、まだ「1万」ですか。それっぽっちを集めるのにどれだけ時間をかけているんだろう。それほど、関心のない展示だったということで、維持管理にも県民の税金が投入されるだろうから、止めて正解だったのだ。

 どこかの某大学教授が「民主主義が揺らぐ危機感と怒りが表現されていると思う」と言っている。そう思っているのはあんたと活動家だけだわさ。1万の人の中には、隣人の左翼から言われて「近所付き合いもあるから」といやいや署名した人もいるだろう。それにたった1万でしょ。愛知県民は何百万人いると思っているのか。少なくとも100万単位で集めて、「これが民意だ」と突き付けなさいよ。偉そうな卑怯者に。

 

 

アホの羅列

 しまった!あとから言っても何の説得力もない。パラ・メダルのデザインを見た時に「扇子をデザイン化したのか、なかなかセンスがいいのう」と言おうと思ったのだ。そして「扇子でセンスがいいんだけど、放射状になっているので、また朝鮮人が『放射状線過敏症候群』を発症していちゃもんを付けられるんじゃないの(笑)」とも思ったのに。日記に書いておけばよかった(泣)。

《パラ・メダル「旭日旗連想」と抗議へ 韓国の障害者スポーツ団体》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190828-00010007-houdoukvq-soci

 だからさ、こいつらWスタンダードなんだわさ。パラ・メダルなんかよりも朝日新聞社旗のほうがはるかに旭日旗に近い。そこに文句すら言わず、なんで扇子のデザインに文句を垂れているんだ。どう見ても扇子じゃねえか!まず朝日新聞の社旗を降ろさせてからにしろ。

 とにかくこんないちゃもんはまった相手にする必要なし。「嫌なら来るな!」と言っておけばよろしい。こんなくだらないたわ言のために日本人の労力も、税金も使う必要なし!「嫌なら来るな!!」それだけだ。

 

《枝野氏の河野外相辞任要求に批判殺到 ネット「いつから韓国の政治家に?」》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190829-00000006-ykf-soci

 いつからって、ずっと韓国・北朝鮮支那の代弁者ですがな。

 ワシャの手元に15年前に発行された『みんなの代議士図鑑』(講談社)という本がある。この中に若かりし頃の枝野代議士が登場する。「総理大臣になりたいか?」という問いかけに「この国の政治を動かす上で、責任ある立場で仕事がしたいと思いますが、どのようなポストであるかは、時代の決めることだと考えています」と答えている。

 およよよ~、総理大臣になる腹積もりもあったんだ。剣呑剣呑。こんなのが総理大臣になったら文在寅の韓国みたくなっちまう。実際に、最悪総理だった菅直人の時に、官房長官をしていたのは枝野代議士だった。あの時に日本国が壊滅しなくってホントによかったと思っている。でも、東日本大震災の時に、このメンバーだったことは、かなりやばかった。おそらくこの反日グループが国のかじ取りをしていなければ、もう少し被害が少なくできたであろうことは間違いない。ホントにあの時、日本は風前の灯だった。そんな野郎が河野外務大臣を悪く言っているということは、河野大臣が極めてもののいい外務大臣という証明みたいなもので、中国共産党から悪口雑言を浴びせられる人たちは日本の真の愛国者と言っていいのと同じ理屈だ。

 

 この写真をご覧くだされ。若き侍たちは白の無地ポロシャツで韓国入りした。

https://www.fnn.jp/posts/00047963HDK

 おいおい、そもそも日本国旗を付けていること、「JAPAN」という表記をすることが危険であるというなら、子供たちの安全を考えて、渡航することを止めたほうがいい。彼らは日本の代表として韓国の土を踏むのではないのか。そんなところで阿ってどうする。

 まあ、朝日新聞天下り先で、なんの決断も判断もできない「高野連」という昭和のまぬけな組織がやることだから・・・と安易に許してはいけない。蟻の穴から堤が崩れるとも言う。ゲスの「高野連」のために、ここまで築いてきた対韓政策が破たんしないようにしてほしい。

議員記章

 8月27日(火)の朝日新聞に《ヤフオクに議員バッジ 誰が何のために?》という見出しがあった。

 記事は、東京都葛飾区の区議会議員バッジがヤフオクに出品されているという話から起こして、「悪用される恐れがある」として国会でも野党議員が、このことについて質問したと報じている。ヤフオクも、不正利用の恐れもあるので、議員バッジについては、今後、削除する予定らしい。さらに、小泉純一郎首相が、議員バッジを忘れてきて、衛視に足止めをくらってしまったエピソードなどを紹介しつつ、それがないと国会に入れない国会議員バッジとは違って、市区町村の議員のバッジに大した特権はないと書く。そのとおりだ。市議たちはバッジなしでも市議会に出席できるし、今日び、市議程度の議員バッジに「へへへ~」とひれ伏す市民なんかいるものか(笑)。

 そして記事の最後がさらに笑える。

《議員バッジは「センセイ」たちの名誉の結晶で、普段着のときにもつける人がいる。ただ議員本人を除けば、魅力には乏しいようだ。》

 

 ワシャの友人、知人には市議会議員が何人かいる。記事の言うように、普段着に議員バッジをつけているようなオバサン議員も知っている。例えば少し前に話題になった熊本市議で、議員バッジをつけることがステイタスのようなコテコテの昭和の議員もいる。

 でもね、まったく議員バッジなどつけたがらない議員もいる。この間も、ジャケットの左襟に大きなバッジをつけていたので、何かな~?と思って見てみると、およよ、スイカのピンバッジをつけていた。「おい、議員バッジをつけろよ」と言うと、「つけたいんだけど、議員バッジというのは重くて厚いんだわ。夏の薄いジャケットの襟ではバッジが保てない」と笑っていた。そういえばヤツが議員バッジをつけているところを見たことがない。ピンバッジが好きな野郎で、TPOに合わせてほぼ毎日違うピンバッジをつけてくる。昨日は、トンボのピンバッジだったな。

 国会議員バッジを模した5000円以上する市議バッジに極めて強い愛着を持つ議員もいれば、「そんなものダサくてつけたくない」と、公的な場にしかつけていかないという議員もいる。

 市議の友達は、「市議のバッジなど、1個200円くらいの通常のピンバッジでいい。その方が襟につけた時の収まりもいい」と言い切っている。市議バッジで重さ6.5g、厚さ20㎜である。標準的なピンバッジが2g、9㎜であることをかんがえると、ずいぶん大きさが違うでしょ。

 昨今、議員の目方もずいぶんと軽くなっている。それならバッジも軽くていいんじゃないの?

「WiLL」のトリエンナーレ批判

 福井県立大学教授の島田洋一氏が厳しい。

《常識ある多くの日本人の怒りを買った「表現の不自由展」騒動は、大村秀章愛知県知事と津田大介「芸術監督」という中心人物二人の並外れた卑小さに起因する。》

 そして「不自由展」の企画アドバイザーだった東浩紀氏もこう言う。

《『表現の自由vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています。》

 和田政宗参議院議員の発言である。

《河村(名古屋)市長は、「どう考えても日本国民の心を踏みにじる行為だ」と中止を求めました。ただ、これに噛みついたのが大村秀章愛知県知事。「憲法二十一条は、表現の自由と検閲の禁止を定めている。河村さんの発言は憲法違反の疑いが濃厚」と言い放ちました。大村知事は検閲というものを理解していません。》

 大村知事が「不自由展」の中止理由として「市民の安全を考えた」と発表したことについて、作家の百田尚樹さんがこう指摘する。

《詭弁もいいことですね。たとえば東京五輪が、脅迫FAX一枚で中止になるかどうか考えてみたらわかります。今回の中止決定は、大村知事に何かやましいことがあったんじゃないかなと思わせます。だから、早々に展示中止を決めて「表現の自由」の議論から逃げた。》

《騒動から二週間ほど経ってから、大村知事は「自分は止めたけど」みたいなことを言い始め、津田氏もまた同じようなこと言い始めました。完全に罪のなすりつけ合い、醜いですね》

 大村知事が河村市長に突き付けた憲法21条「表現の自由」については、政治学者の岩田温氏に、朝日新聞流の「表現の自由」であると見破られ、徹底的に論破されている。知らないことは口にするものではない(笑)。

 漫画家の孫向文氏が言う。

津田大介氏の本職は、反体制的な思想を掲げるジャーナリストであり、芸術方面とは無縁な人物です。(中略)津田氏を任命したのは「あいちトリエンナーレ」の主催者である大村秀章知事ですが、確信犯的に津田氏を芸術監督として任命したのではないでしょうか。》

《一刻も早く、左派・リベラル層による表現弾圧が白日の下に晒され、日本に本当の意味で「自由な表現」が可能となる社会が到来することを期待します。》

 

 左派・リベラル層に乗せられていてはダメですよ、大村知事。

 

徹底的にトリエンナーレ

 おおお、ついに我らが呉智英さんが「週刊ポスト」で声を上げた。好評連載の「現実のバカ」で、《表現の不自由展と「当り屋」》と題した秀逸な痛快なエッセイが出た。「待ってました!」と大向こうから声を掛けたくなっちまいますぞ。呉さんの発言をまとめる。

慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。》そこいらじゅうに同じものがあって、《韓国大使館の玄関や会議室なら設置は自由である。》

そのとおりだ。表現する自由は山ほどある。

《こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである。》

 さすが呉夫子、「津田大介」と敬称を付けない。作家の百田尚樹さんやジャーナリストの有本香さんでも「氏」を付けているが、「文句があるなら言ってみろ」という呉さんの態度は頼もしい。

津田大介ら破廉恥な運動家連中」と断言した後に、呉さん、その博覧強記にものを言わせて、本当の「表現の不自由」を列記する。それらは、大村知事や津田大介氏が「表現の不自由」といっているものとは芸術性も、不自由さのスケールも、天と地のゴミほどの差があることを示す。これでは「破廉恥」な連中はぐうの音も出まい。

 呉さんはエッセイの結びでこう言っておられる。

《表現の不自由と戦ったことがない奴らが当り屋稼業をやっている。》

 まさに、そのとおりですね。

 

 さらに「破廉恥連」への糾弾は続く。発売されたばかりの月刊「Hanada」(飛鳥新社)、月刊「WiLL」(ワック出版局)でも大きく取り上げられている。

「Hanada」では有本香さんが《反日バイトテロ「あいちトリエンナーレ」》と題して厳しい論評をする。今回の騒動について《芸術監督に祭り上げられた津田氏と、間抜けな主催者・大村知事は、「こんな人たち」のフロントとして使われた、というのが事の真相だろう。》と指摘。「こんな人たち」というのは、共産党よりも極左に近い反天皇活動をする輩のことであり、それらの名前が堂々と出てきた段階でチェックができなかった愛知県の間抜けさはいかばかりであろうか。

 さらに作家の門田隆将さんは10ページにわたって論を展開する。論題は《「表現の不自由展」はヘイトそのものだ》である。

 門田さんは実際に8月3日に愛知県芸術文化センターを訪問している。そして「表現の不自由展」の作品を実際に見て、作品を見にきている客の動向も観察してきた。門田さんの指摘を要約する。

『「表現の不自由展」は写真撮影は許されているが、撮ったものは写真・動画に関わらずSNSへの投稿禁止となっている。この展示会は観る側にも「不自由」を強要する。そういう不自由さについて訴えるはずの展示なのに「自己矛盾」に気づかないところに主催者のレベルの低さがある』

『やはり反昭和天皇がモチーフだ。昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、奇妙なバックミュージックが流される。工作者の昭和天皇へのヘイト(憎悪)がストレートに伝わってくる』

『私の脳裏に浮かんだのは「グロテスク」、「自己満足」、「真実の歴史など二の次」ということだった』

 ちなみに、作家の百田尚樹さんは「自己満足」を「自慰行為」と言っていた(笑)。

 門田さんは一章を割いて大村知事についても書いている。章題は《支離滅裂の大村知事》である。ここは長くなるが引いておく。

《「表現の自由」を標榜して展示をおこなっているのなら、どんなことがあっても脅迫や暴力に「負けてはならない」からだ。まして大村氏は愛知県知事だ。愛知県警を大動員してでも、「暴力には決して屈しない」姿勢を毅然と示さなければならない立場である。》

 ヘラヘラと地域の盆踊りや宴会を回っている場合ではなかった。暴力とは決然と闘う姿勢を示してこそのトップではないか。

《一方で私には「ああ、逃げたな」という思いがこみあげた。あの展示物を見れば、常識のある大人ならこれに税金を投じることの理不尽さを感じ、非難がますます大きくなることはわかる。それを察知した大村知事は、テロの危険性をことさら強調し、自分たちを「被害者の立場」に置いた上で“遁走”したのだろう。》

 憲法21条で、河村市長を攻撃した内容についても墓穴を掘った。東大法学部がまったく憲法解釈を間違えているのだ。これは多くの学者・弁護士から指摘されているところである。ここは河村憎しの感情に流されずにきっちりと下調べしてからものを言おうね。

 

 いけない、トリエンナーレ批判の量が多すぎて、「WiLL」まで行きつけなかった。「WiLL」については明日のココロだ~。

憎悪の唱道(ぞうおのしょうどう)

 

 愛知県の大村知事は、トリエンナーレの「表現の不自由展・その後」中止の言い訳に、憲法21条の「表現の自由」があり、だから主催者とはいえ、内容を聞いていたとはいえ、「止めろ」とは言えない・・・というようなことを公表した。そして、河村市長が、大村知事に「中止を求めた」ことを、憲法21条違反であるようなことも語っている。

 

 これがまったく的外れな言い訳であると、科学者の武田邦彦さんは言う。

「『表現の自由』については1966年締結の国際規約で世界基準が決められている。日本国憲法の『表現の自由』の上に国際規約があるのは当然である。そこでは『差別の禁止』と『憎悪の唱道』には『表現の自由は適用されない』と決められた。だから今回の愛知のケースの展示では『表現の自由』は侵犯されていない」

 憎悪の唱道って耳慣れない言葉ですね。さすが武田さんは博識である。「唱道」とは「自らが先に立って唱えること」であり、憎悪を増幅するためのモノについては「表現の自由」は認められないのである。

 

 まともな理性を持ち合わせている人たちからは、今回の「表現の不自由展」中止は、「当然である」という認識で一致している。ただ、毎度毎度、こういった案件ではそうなのだが、ごく少数のノイジーマイノリティが大騒ぎをしてくる。未だに「『表現の不自由展・その後』の再開をもとめる愛知県民の会」が集会をしたりデモ行進をしている。しかし、これらは「愛知県民の総意」ではなく、極めて少数の色付き愛知県民の会であり、あちこちに出没する反日団体と根を同じくする者たちである。

 彫刻家と称する韓国人が「平和の道を開いていくために展示した」と言っているが、「憎悪の唱道」を悪化させるものに、そもそも「表現の自由」はなく、さらに言えば、価値観の多様性のない塊はモダンアートですらない。

 そのことについても、まともな識者たちが声を上げているので、反日団体の言っていることが、単なるデマゴギーであることは明白だ。

 

 大村知事に好意的な識者も残っている。彼らは「さっさと非を認めて謝罪したほうがいい」と言っている。

 例えば、ジャーナリストの須田慎一郎さんは、大村知事が言い訳に使った「検閲」についても「検閲というのは、公権力が一般的、網羅的に禁止することで、公的施設で展示を止めたけど、他でどうぞ自由にやってください、というのは検閲に当たらない」と論破している。そして、爆破予告をしたバカを取り締まるのは愛知県警であり、愛知県警のトップは大村知事本人に他ならない。つまり、それほどまで曲解した「表現の自由」を守りたいのであれば、自らの持つ知事権力を使って、会場周辺を県警に守らせてでも開催継続すればよかったのだ。須田さんの言うことはもっともであり、そういった一連の行動の矛盾を大村知事は県民に説明する義務がある。それは、どこにでも顔を出す愛想のいい知事だから許されるというものではない。

 

 不愉快な話はさておき、夕べ、裏庭で鈴虫の鳴くのを聴いた。確実に秋が近づいてきている。

電車の中で

 昨日、ちょっとした打ち合わせが名古屋であって、昼過ぎから出かけた。JRはこの時間帯でも混んでいて座ることはできなかった。iPadをひろげてメールのチェックなどしていこうと思っていたが、目論見が外れたわい。

 車両の中ほどまで入って、そこで立っていた。椅子はすべて埋まって、通路にも人がいっぱいで、土曜日の昼の名古屋方面が、こんなに混んでいたのかなぁ。ワシャは右肩にバッグを下げ、吊革につかまって、扇子でパタパタと扇いで涼を取っていた。

 ワシャの眼下の席の通路側に男性が座っている。上から見下ろす格好だから、頭髪の薄さ、白髪の混じり具合、その髪が整髪されていないことなどが一目だ。その部分だけを捉えれば「初老」といった風采である。眼鏡をかけている。普通の銀縁の眼鏡で、取り立ててどうということのない事務用の眼鏡といったもの。服装は、少しよれたポロシャツにコッパン、それに履きこんだ運動靴といった出で立ちで、この人がチャラチャラとしたお洒落とは縁のない人だということが分かった。

 別にそれはそれでいい。金をかけた衣装を身に着けていても、高級車を乗り回しても、胡散臭いのはいくらでもいる。そんなのと比べれば普通に電車の座席に馴染んで他を邪魔しない善良な市民なのである。そういった普通の人がワシャの眼下に座るということをまず言いたい。

 その人は車内が混んでいるので、自分のキャスターバックを膝の前に入れこんでいる。ずいぶん窮屈だが、それでもうつらうつらと気持ちよさそうに居眠りをしている。その人の席の左の窓側に小学校の高学年か、あるいは中学1年だろうか、そのくらいの少年が座っていた。車窓に顔を向けていたので、最初は判らなかったが、よく見れば手前の男性と同じ顔をしている。親子だった。その少年も自分のナップサックを足元に置いていて、そこから冊子を取り出して地図のようなものを見始める。そして突然、こう言った。

「父さん、次はカリタニ?」

 父親は、ピクッと反応し、「ん?」と子供の方に顔を向けた。

「次の停車駅は、カリタニ?その次はダイブ?」

 次の停車駅は「刈谷(かりや)」で、その次は「大府(おおぶ)」ですよ、と言いそうになったが、不意に見知らぬオッサンから声を掛けられると、びっくりすると思って出しゃばるのは止めた。

 父親は、うにゃむにゃ答えていたが、答えにはなっていなかった。そのうちに「この電車は、かりや~おおぶ~かなやま~なごやの順に停車いたします」という車内放送が入ったので、それで子供は理解したようだった。

 この親子は青春18切符で旅をしているんでしょうね。2人の会話を聴いていて、この後、名古屋で関西線に乗り換えて大阪まで行き、そこからまた東海道本線米原までもどって北陸本線で金沢のほうまで行くらしい。子供の夏休みにお父さんが付き合っているんですね。ご苦労様。

 

 ワシャは車両の中ほどに立っているのだが、前寄りの入口のところに若い男女(20歳前後かなぁ)が並んで立っていて、6mくらいの距離感で、ちょうどワシャのほうに顔を向けている。この女子がかわいかった。稲森いずみを幼くしてもう少し目を切れ長にした感じかなぁ。ちょっと人ごみでも視線を集めるほどきれいな娘だった。笑顔がよかったので目を留めてしまった。

 男は、背が高く顔だちがいい。茶髪で耳にピアスをしている。顔だちはいいのだが、少し表情に険が見える。要するにヤンチャそうな男だった。娘のほうは、見ようによっては高校生にも見えないことはない。ヤンチャな男は、どうみても真面目な高校生には見えないので、主導権はこの遊び人風の男が握っている感じだなぁ。

 2人は、周囲に違和感を与えない程度に微笑ましくいちゃいちゃしている。しかし、時おり、娘のほうの顔が曇るのだ。それがオジサンには気になったが、行きずりのオッサンにはどうしてやりようもない。2人は金山で降りていった。

 

 この2組のおかげで名古屋までの車内が退屈せずにすんだのだった。