快挙の余韻

 昨日、ちょいと一杯やっていた。その時に友だちから「ワシャさんのブログは難しい」と言われたのじゃ。う〜む、難しいことを難しく書く、簡単なことを難しく書くというのは最低なのである。ちょっと反省をした夕べであった。

 さて、今日は『続日本紀』から始めたい。昨日ご一緒だった○○さん、引かないように(笑)。
 和銅4年(711)のことである。挑文師(あやとりし)、綾を織る技術者のことなんですが、朝廷は挑文師を諸国に遣わして、錦・綾を織ることを教習させた……と『続日本紀』に出ている。
 ここまで書くと、今日、何を書こうとしているか判りますよね。「錦」ときて「織る」とくれば「錦織り」「錦織」……全米で決勝に進出した「錦織圭選手」のことを話題にしたいということであります。
続日本紀』を続けたい。翌和銅5年の記載である。
《……近江・越前・丹波・但馬・因幡伯耆・出雲……などの二十一国に命じて、初めて綾・錦を織らせた。》とある。錦織選手の故郷は島根県松江市だから旧国名では伯耆国、まさに和銅4年に朝廷が挑文師を伯耆国に派遣して、そこで綾や錦を織る職人を育成する。その中におそらく錦織選手の先祖が参加していた。
 錦織という姓はそれほど珍しい名前ではない。『日本の苗字ベスト30000』(新人物往来社)によれば1515位である。笹岡、池永、梅野、笹田などと同じくらいポピュラーな苗字である。それはやはり大和朝廷が綾や錦を量産するために、諸国に綾部や錦部を設置したことが大きい。とくに伯耆朝鮮半島にも近く、また出雲という古代の先進地に隣接していたので、錦を織ることはさかんにされたに違いない。その証拠に島根県だけを取り出してみると錦織姓は34位につけている。島根では小林(全国9位)、山下(同26位)、石川(同27位)岡田(同32位)などを優々に抑えてであるから、錦織はスタンダードな苗字と言っていい。
 滋賀県野洲郡に「きんしょくじ」という寺がある。「錦織寺」と書く。天安2年(858)に最澄作の毘沙門天像を安置した堂宇として発足した。親鸞聖人が立ち寄ったこともあって、現在では真宗木辺派の本山として阿弥陀如来を奉っている。伯耆国の錦織氏とはなんの関係もないが、それでも遡れば和銅4年の挑文師に教習を受けたグループの仲間であろう。ささやかな縁ではあるが今回の錦織選手の快挙で「錦織寺(にしごりてら)」として売り出していけばいい(笑)。

 そんなことはともかくも、テニス全米オープン男子シングルス決勝進出おめでとうございます。
 錦織圭選手は日本の誇りであります。