昨日の続き

 小津安二郎監督の『晩春』は父と娘の殉愛を描いた名作である。何度見てもいい。紡ぎ方が繊細なので、映画のいたるところに隠されたものがある。それを見つけるという作業も楽しい。
 この映画では、途中に能の場面が出てくる。演目は「杜若」、それは晩春といった季節から当然の選択と言える。舞台では杜若の精が、「在原業平の華麗な恋愛生活は仏の衆生済度のためであった」と言い連ねながら幻想的に謡い舞う。面は小面。客席では、結婚相手を見つけた父親(笠智衆)が笑顔で会釈をしている。紀子(原節子)もつられて笑顔でお辞儀をするが、徐々に怒りが込み上げてくる。そこには父の結婚相手に対する般若の紀子がいた。メラメラと嫉妬の炎を燃え上がらせる紀子、笑顔から沈痛な表情に移っていく原節子の演技が見ものだ。
 極めてレベルの高い文芸作品でありながら、父親と娘の濃密なまでの感情のやりとり、抑圧されたエレクトラコンプレックスを原節子が見事に表現している。この艶っぽさは生半可ではない。『晩春』で多くの男性が原節子の虜になってしまったのも分かる気がする。