猫も鼠も同様に

 今日の中日新聞の「社説・発言」のページにある社会部デスクの意見が笑える。テーマは《河村市長の大村知事批判》大見出しで《「抑制の流儀」なくしたのか》と打つ。

 論旨は、河村市長の処世訓「政治ですから、今は一緒にやれなくても、将来は分からんですよ。関係を断っちゃいかんのです」を盾にとって、「なんで、大村知事と仲良くやれないの?」と問うている。

 このデスクの矛盾は、大村知事の視点に立って河村市長を責めていることである。社会の公器ならば、「中立の立場に軸足を置いているんだ」くらいのスタンスはとって欲しい。

 今回の「あいちトリエンナーレ2019」の対立はあるにせよ・・・と前置きをしながら《しかし、大村氏は一一年の知事・市長の同日選で共闘した人。首まで取りにいくものなのか。》と言っている。

 デスクは、河村さんの言説ばかりをクローズアップし、《「トムとジェリーですから」が決まり文句》だったじゃないか。《対立を認めつつ「仲良くけんか」とけむにまいた》じゃないかと、一方ばかりを責める。

 17年の名古屋市長選で、大村氏は「河村さんは応援できない」と不支持を明言したが、河村さんは2年後の知事選で「不支持」とはせずに態度を保留した。

 このことをデスクは論う。

「どれだけ冷たくされてもアンタは素知らぬ顔で受け流してくれたじゃないの。なのに今度は許してくれないのさ?」

 論説を引けば《公の場ではどうにか守ってきた「抑制の流儀は」どこへ行ったのか。》

 デスクさんよ。長年にわたって不義理、不実だったのは、一方的に知事の方ではないのか。だからと言って市長を責めるなと言っているのではない。この論説を見る限り、知事の「非」についてはまったく問題にしていないことが「問題」なのだ。

 愛知県知事リコールに対する報道姿勢が偏っているのではないかと、識者たちに指摘されることもある。どうか、軸足だけでもフェアなところに置いていてほしい。