吉例顔見世(夜の部)続き

【棒しばり】
 狂言の「棒縛」を題材にとっているが、狂言のそれよりもはるかにエンタテイメントとして熟成されている。主人公の次郎冠者を三津五郎が、相方の太郎冠者を海老蔵が演る。とくに三津五郎は舞の名手だけに、おもしろい舞台を期待していたが、その期待は裏切られなかった。
 また、二枚目過ぎるの海老蔵がコミカルな太郎冠者を演じられるのか、心配だったがやはり素材が違う。舞では、やはり三津五郎に見劣りしたが、演技では充分に互角に渡り合っていた。さすが宗家の御曹司。
 とにかく最初から最後まで館内は大爆笑だった。

助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)】
 まぁそれは豪華な舞台だ。揚巻や白玉を初めとして傾城(城を傾けるほどの美女)がずらずらと6人、新造、禿(かむろ)男衆など70〜80人が舞台狭しと登場する。
 まず初っ端は口上である。
 マサカリ髷に、海老茶の裃、三升の紋を、きりりとつけて、色男の海老蔵が、助六由来を語りだす。
 ちょいと本題からずれる。
 口上を朗々と述べる海老蔵を見ていて、心から良かったと思う。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20101209/1291841651
 双眼鏡で観察をしたが、海老蔵の顔に傷は残っていない。「棒しばり」の舞を見ても、体のどこかに障害が残っているというようなこともなさそうだ。取りあえず伝統文化の至宝が無事でよかった。
 先週号の「週刊現代」にジャーナリストの溝口敦さんの話が載っている。こんど出される新刊の『暴力団』(新潮新書)にまつわる話の中に「半グレ集団」という犯罪集団のことが書かれている。溝口さんの言を引く。
《「半グレ」とは私が考えた呼称です。暴力団と一般人の間の「グレー」ゾーンにいることと、「愚連」隊であることから名づけました。半グレはときに、暴力団より残虐な真似をしますが、困ったことに立場上は一般人なので、暴対法や暴排条例の対象にならない。》
 つまり、あの「海老蔵事件」では、元暴走族と海老蔵が喧嘩したとなっているが、海老蔵を取り囲んだのは、溝口さん言うところの「半グレ集団」だったのだ。マスコミは海老蔵にも非があるような報道を流し続けたが、暴力団より危ない集団VS梨園の御曹司という図式だったのだ。半グレ団と伝統文化の至宝、マスコミがどちらの側につくべきか、これは火を見るよりも明らかろう。

 話を戻す。「助六」の舞台である。もちろん海老蔵の「助六」も見てみたい。が、今回、海老蔵が名古屋に来ているのは、2月講演に穴を空けたおわび行脚である。もちろん急遽参加なので、いい役は振り当てられない。まぁ「口上役」と「福山かつぎの米吉」あたりが妥当なところだろう。
 よかったのは團十郎である。一時期、病を得て、どうなることかと思ったが、團十郎助六を観てほっとした。前より、芸に磨きがかかっている。動きも表情も若々しい。海老蔵の件も片付き、お孫さんも生まれたことで、芸が安定している。海老蔵にむかって「市川宗家の芸とはこれだ」と見せつけているような舞台だった。
 髭の意休(左団次)を怒らせるために、意休の頭に下駄をのせ、
「にょぜちくしょうぼだいしんおうじょうあんらく、どんがんちん、ハハハハ、乞食の閻魔様め」
 と、おがむ。
 いかにもいたずらっ子のような笑いに、会場もつられて大爆笑になった。

 早稲田大学演劇博物館に国芳の版画「助六廓花見時」が保存されている。これです。
http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php
 この絵は、嘉永3年(1850)3月の中村座の歌舞伎公演を材に取っている。150年の歳月を経ても、まったく変わっていないところが、凄いと思う。この絵の團十郎は八代目である。今日も十二代目の團十郎が左足にキセルを挟んで意休に差し出しているが、ずっと同じ芸をしてきた。そして150年前も、今日も観客はどっと沸いたにちげぇーねえ。