日本列島改造論と公有地の拡大 その1

 2日ばかり早いのだが、ちょいとした事情があって前倒しで「日本列島改造論」から書き起こしたい。
 1972(昭和47)年6月11日に、時の通商産業大臣田中角栄が『日本列島改造論』を発表した。当時、太平洋ベルト地帯への高過密化とその他の地域の過疎化が問題となり始めていた。そこで2次産業を地方に分散するため、交通・情報網のインフラ整備を進め、そのことにより地方の力を高めていこうというのが狙いだった。
 その4日後の15日に「公有地の拡大の推進に関する法律」が制定され、この法律により、地方公共団体の土地の先行買収が可能となった。なにしろ「土地開発公社」というフットワークのいい法人を手に入れることができたのだから。

 それでは「土地開発公社」について見てみよう。法律では「地方公共団体が地域の秩序ある整備を図るために必要な公有地となるべき土地等の取得及び造成その他の管理等を行わせるため設立することができる」となっている。
 原則として地方公共団体は、単年度予算である。その年度の収入は、その年度の内に支出することとなっている。でもね、大規模な土地の買収となると単年度で決着がつくということは難しく、複数年度にまたがることのほうが多い。このためにこの法律ができる前は、地方公共団体が大規模な土地を集約するというのはかなり難しかった。しかし、この法律の成立で、地方公共団体は時間にしばられずに公有地を拡大し、そこに企業を立地する、あるいは公共施設を整備していくことに資することができたわけだ。とくに、バブルのころは土地の値段が倍々ゲームのように上昇していった。その時期に自治体が「先行買収」できなければ、土地の入手は困難だったろう。とすれば、道路や河川の整備は滞り市民生活にも影響が出たと思われる。
(下に続く)