自分が通っただけの冬ざれの石橋 その2

(上から続く)
 その宴の中でTさんが、尾崎放哉のことを好きだということがわかった。そういえばTさんの恬澹な生きようを見ると、なるほど、放哉がお気に入りというのも肯ける。

 今日のタイトルは、放哉の句である。
「自分が通っただけの冬ざれの石橋」
 凍てつくような寒い日に、荒れ寂びれた庭の石橋を渡って、ふと振り返れば自分の足跡だけが石橋の霜の上に残っている。たった一人の自分を実感する一瞬がそこにある。この句は小豆島南郷庵で亡くなる前の冬に作られたものだろうか。自由律俳句の鬼才の孤独がみごとに凝縮されている。
 一高、東京帝大を経て、大手の生命保険会社に就職し、とんとん拍子に出世する。その後、妻を捨て仏門に入り、小豆島の庵で乞食同然の生活を続ける。大正14年の11月ごろから、放哉は気管支炎を患う。これをこじらせて喉頭結核の病状が悪化、病床に臥すことになる。心配した師匠が入院を強くすすめるのだが、死に臨んでも放哉は庵から出ることを頑なに拒んだ。独居無言の生活こそ放哉が望んだ生き様だった。

 こうやって放哉のことを書いてくると、会社の中で孤高を貫きとおしたTさんの生き方が放哉に重なってくる。ううむ、とくに頑固なところなどそっくりだ。(笑)