光市母子殺害事件について その2

(上から続く)
 著者は、被害者である本村洋さんにも取材を申し込んでいる。しかし、著者の甘い認識を本村さんに指摘され、結局、インタビューはかなわなかった。
そのあたりの甘さを著者は充分に自覚しながら、こう締めくくっている。
《私は「福田君が死刑になることで、何か1つでも、社会にとって得るものがあってほしい」と書いた。しかし、その「得るもの」が、私にはいまだに見つけられずにいる。》

 私は「光市母子殺害事件」の被告は、どのような理由があるにせよ死刑でいいと思っている。それはマスコミ報道がつくった被告のモンスターの虚像ゆえにそう思っているのではない。「故意に人を殺した者は、自分の命で償うべきだ」と単純に思っているからである。

 だが、この本を読む前と、読んだ後では被告への印象が変化したことも確かだ。今までは、たち込める霧の向こうにおぞましい殺人鬼の影を見ていたのだが、著者が確認した被告の肉声や、中学校の写真などを見て、等身大の殺人者の姿が見えるようになった。そういった意味からも、この本は被告のためになるし、意義があると思う。

 このニュースで気になるのが、損害賠償と出版の差し止めを求めている「少年側」というのが、誰だろうということなのだ。もし、それが被告本人ではなく、被告の父親から出た話だとすると、この出版差し止めは、被告を利することがないと思う。この本を読むとそういったところも見えてくるのだった。