とぼけたことを…… その2

(上から続く)
 その第1は、死刑執行の役を、裁判員のように国民の中からランダムに選んだ者が果たすべきだという。「死刑を容認する連中は、そいつら自身が死刑執行をしてみろ」と言うことらしい。
 また、こんなことも書いている。「真の被害者は殺されているので、近親者といえども、被害者を名乗ることは越権行為である」え?では、最愛の奥さんとお嬢ちゃんを鬼畜に殺害された木村洋さんや、闇サイトで知り合った獣どもに大切な娘さんを殺された磯谷富美子さんは被害者ではないんだね。この人たちが被害者でなくて、いったい誰が被害者に成りえるんだい。洋さんや富美子さんが心に受けた深い傷は被害ではないというのか。
《被害者の親族や恋人は、しばしば、犯人が死刑に処せられないのならば自分が殺してやる、とまで主張する。》この人は、こう前提をつけて、《とすれば今までの死刑を廃止して、代わりに準被害者に決闘権を与える、という方法はどうか。》と第2のとんでもない提案をする。
「被害者の近親者に決闘を認める代わり、その決闘は犯罪者と五分五分の平等な条件での決闘にする。被害者の近親者と言えども、加害者を殺したいなどと思う輩は、加害者に返り討ちにあうリスクを背負うべきだ」と言っている。この人、何を言っているのだろう。
 そしてこの人、文章の最後をこう締めくくった。
《責任を他者に転嫁してしか殺人を行使できないならば、その殺人は正義ではない。》
「報復手段の死刑を他者に委ねなければできないというなら、それは正義ではない」と言っているわけだ。
 この人が、最後の最後で「正義」を振りかざしたので、ついにお里が知れた。谷沢永一『モノの道理』(講談社)にこうある。
《結局のところ、「正義の味方」「弱者の味方」「反権力」といった呪文に雁字搦めになった彼らには、物事はああも見えるがこうも見えるものだ、ということがわからない。自分がとらわれている観念のとおりにしか見えない。》
「ダメなものはダメッ」という迷言を吐いたどこぞのおばさん党首と同種のイデオロギーに洗脳された人が、「死刑廃止」の妄言を吐いていただけなのね。イデオロギーに汚染されていない真っ当な市民はこういった言説に惑わされてはいけない。やれやれ。