司馬さんの平和論

 ある人に問われた。
司馬遼太郎さんは平和ということについてどう考えていたのだろう」
 即答できなかった。悔しいので午前3時から書庫にこもって調べている。ううむ、てこずった。司馬遼太郎という作家は戦乱を舞台にして多くの小説を書いているわりに、「平和」というキーワードで書いた文章や対談が少ない。エッセイ集『司馬遼太郎が考えたこと』全15巻をはじめ『この国のかたち』、『風塵抄』などなど片っ端から調べて、ようやく3編が見つかっただけである。それにしたって具体的に「平和論」について書かれたものではない。
 例えば、昭和41年に「平和は難しい」という題のエッセイがある。この中で「平和」になるためにはどうしたらいいかという問いに対してこう答えている。
《方法手段は私にとって、今は全く思い浮かばないわけなんですけれども、大変難しいということなんだとわかれば、少しでも平和への前進になるんじゃないか、と思うわけです。》
 司馬さんにしては歯切れの悪い文章だ。
 このエッセイから下ること25年、司馬さんは産経新聞に連載された『風塵抄』の中で、再び「平和」について文章を綴っている。司馬さんは宗教としての「念仏唱名」を例にあげて、《唱名だけで、浄土に往生できる。つい、平和についても、唱名をする。平和念仏主義というべきものである。》と、現在の空疎な平和主義を看破している。そしてこう続ける。
《念仏では平和は維持できないのである。平和とは、まことにはかない概念である。》
 全国の自治体1800の内、その3分の2が「平和都市宣言」を採択している。司馬さんのいう「念仏」程度の効果はあるだろうが、それ以上の影響を国際政治に及ぼすことはなさそうだ。
 司馬さんは「石油」というエッセイの中でもこう言っている。
《戦後の平和運動が、軍国主義の戦前と同じ呪文主義(平和平和と絶叫していればなんとかなるという考え方)だったことも反省せねばならない。》

 知の巨人ですら軽軽に「平和」というものについて断言することはできなかった。にも関わらず全国の1200の自治体では「平和とはこういうものです」と言いきれるのだから大したものだ。やれやれ。