現実は厳しい

 NHK教育で日曜日の7時から「トップランナー」という番組が放送されている。昨日は漫才師の「ドランクドラゴン」がゲストだった。
 このコンビ、年上の塚地武雅の存在が大きい。ネタを考えるのも、演技をつけるのも、主たる役を演じるのもすべて塚地の役まわりだ。年下の鈴木拓は塚地の脚本どおりにつっこみをこなしてゆくだけの傀儡でしかない。
 この手の才能の格差の大きいコンビは従来からあった。古いところでは「B&B」がそうだったし、「紳助竜助」がそうだった。最近では「DonDokoDon」なんかもそうだよね。才気あふれる男と才能も何もないただ芸能界にあこがれていた相方という図式だ。
 ビートたけしビートキヨシの水は随分と開いてしまったし、竜助にいたっては芸能界に存在すらなくなっている。「DonDokoDon」の山口智充もすでにピン芸人として活躍をはじめており、NHK大河での「永倉新八」の好演は記憶に新しい。
トップランナー」の中で鈴木も塚地もそのことに気がついていた。才能のない鈴木は「電車男」で役者として活躍をしはじめている塚地に対して「ピンの仕事は入れるな」と牽制する場面があった。これに対して塚地は「コンビで大きな仕事がしたい」というようなことを発言していたが、いずれ鈴木が足手まといになるのは明白である。事実、「トップランナー」での扱いも塚地をメインにすえて構成してあって、鈴木はほんの添え物でしかない。視聴者にしても鈴木の話などどうでもいいのだ。塚地の子どもの頃はどうだったのか、塚地は漫才についてどんなことを考えているのかが聴きたいんだ。
 残酷なようだが芸能界は実力がモノをいう世界である。才能で大衆に認められてなんぼの世界で、面白くないヤツを映している暇なんかない。いやいや芸能界ばかりではないぞ。どんな社会でも実力のないヤツは結局、淘汰されてしまう。社会は弱肉強食なのである。食うほうにまわらないと食われちまうわけだからこりゃあ大変だ。