走る家康 その2

 はたしてそうだろうか。むしろこう考えたほうが自然ではなかろうか。
 家康は45歳で秀吉に臣従して、以来、この日の到来を待ちつづけていた。豊臣家という、一時にしろ家康の上に君臨した政権の残滓をすべて排除し、己の頭上に何者も妨げるもののない状態がようやく巡ってきたのである。この時の家康の開放感たるや生半可なものではなかったろう。
 ここでこの老人、我に返った。天下に唯一君臨する生身の己が殺伐とした戦場の中に立っているということにである。大合戦が終わって、その熱気は未だ冷めていない。周辺を見れば、殺気をぶら下げたまま戦場処理の兵士たちがうろついている。
 かつて家康の祖父清康は尾張守山の戦場でとち狂った家臣のためにあっさりと殺されている。また父広忠も敵対勢力から送られた刺客によって非業の死を遂げているのだ。禍は意外なところに潜んでいるということをこの老将は知悉していた。このため何が起きてもおかしくない戦場を一刻も早く離脱したかったがための遁走であったと考えている。
 大坂夏の陣は昨日終わった。明けて慶長20年5月9日、家康は晴れ晴れとした朝を己が居城(二条城)で迎えたのである。夜来からの雨もあがってその日の京都はつき抜けるほどの青空に恵まれていたに違いない。
 この後。1年を待たずして家康は死ぬ。75年の人生をひた走りに走ってきた家康だったが、昨夜の走りが実質的に最後の走りとなったわけである。