徳川実紀にこうある。「(家康は)秀頼生害の後、ひそかに城中をご巡視ありて、ご帰京あらむとて。かヽる大戦の後は必ず大雨出るものなりとて。御道をいそがされる。」 家康は人生の最晩年、天下を磐石のものにするために大悪人となって、大坂城に住まう母子…
はたしてそうだろうか。むしろこう考えたほうが自然ではなかろうか。 家康は45歳で秀吉に臣従して、以来、この日の到来を待ちつづけていた。豊臣家という、一時にしろ家康の上に君臨した政権の残滓をすべて排除し、己の頭上に何者も妨げるもののない状態が…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。