昭和29年7月5日、春日八郎が歌う歌謡曲「お富さん」のレコードが発売され4ヶ月で40万枚を売った。ワシャの物心がついた頃、昭和30年代後半にも「お富さん」はテレビ、ラジオで流れていたから随分と歌謡曲の息の長い時代だった。
昭和50年代にはディスコブームが到来し、ディスコアレンジされた「お富さん」が巷に流れていた。
しかしアホなワシャは「粋な黒塀」を「粋な黒兵衛」、「見越しの松」を「神輿の松」、「玄治店(げんやだな)」を「原野だな」だとずっと思っていた。
歌舞伎がポピュラーな娯楽で「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」を知っている世代にとっては、「粋な黒塀」と聞けば、「正面屋根つきの柴折門、その上下に見返しのついた黒板塀。門の内の下手に見越しの松。門の外には用水桶。玄治店妾宅の裏手・・・」という歌舞伎舞台のシーンが脳裏に浮かんだだろう。あるいは実際に街の中などに黒塀の粋な妾宅があったりして、そりゃぁイメージがどんどんと膨らみますわいなぁ。
でも今は歌舞伎を見ないし、街の中に妾宅もないから(今は妾マンションなんだろうね)分からなくて当然といえば当然なんだけどね。でもイメージは膨らまないから寂しい限りだ。
なんでこんな話しをしているかというと、実は今日が名人といわれた15代目市村羽左衛門の60回目の命日になる。この人、容姿・口跡にすぐれ華麗な演技で大正・昭和初期の代表的な二枚目役者だった。あたり役が「与話情浮名横櫛」の与三郎で、「エェ御新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ、イヤサ、お富、久しぶりだなア」という科白はあまりにも有名なのだが、これも歌舞伎好きでなければ知らないよね。タイトルの「お釈迦様でも・・・」も劇中の名台詞。
そんなわけで黙祷。