劣は青いうちに矯めよ

 ある中学校の校長と話をする機会を得た。その時に「子どもたちを野放し状態にする自由を危惧する。ある程度は型にはめたほうがいいのではないか」というようなことを建言した。その時、校長はこう答えた。
「個性が大切です。子どもたちを型にはめるようなことはしたくない。自由の中から個性が生まれるんです」
 白洲正子の随想の中に、現在の教育のありかたに警鐘を鳴らしている一章がある。
「一般の方たちは、能のように『型』を守る伝統芸能は、みな同じことをするのだから、そんな違いがあることを不思議に思われるかも知れない。が、話は逆で、きまった型があればこそ、そこに個性の相違が表れるのである。たとえば近頃のように、『個性の尊重』とかいって、一年生の時から自由にさせておいては、永久に個性をのばすことはできまい。人間として知っておくべき基本の生き方を身につけた上で、個性は造られるのであって、野性と自由が異なるように、生まれつきの素質と個性は違うのだ。個性は、自分自身が見出して、育てるものといっても間違ってはいないと思う」
 生まれたままの子どもは野性である。野性(自由)を束縛してこそ社会性が身についてゆくのである。未だに戯言を言っている校長の呆け面を見て、悲しくなった。
 学校は子どもを放牧するところ、勉強は塾でさせる。これが現在の一般常識らしい。その証拠にもならないが、「教師の子どもほど塾通いが激しいらしい」というような噂が巷に流れている。
 個性尊重も結構だが、きちんとした型にはめて(ただし愛をもって)しつける。基本の教養を身につけさせる。それが子どものために一番いいのではないか。