小唄をきく

「浮気同士がついこうなって ああでもないと四畳半 湯のたぎるより音もふく あれ聞かしゃんせ松の風」
 とある城下町の川沿いにあるホテルの2階座敷、三味線の爪弾きに合わせて、和服姿の妙齢の女性が、殺した声で唄っている。
 浅春の昼下がりである。客の前に据えられた黒塗りの膳には、土味のある信楽の小鉢に蕗の白和えが上品に盛られてあり、その脇に置かれた白磁の猪口に障子越しの薄日が映えている。
 これは風流ですぞ。
 ゴルフ場にいったり、ライオンキングを観にいったりするのもいいだろうが、日本文化にひたりながら、時間を遊ぶというのもこたえられない。
 先日、ささやかな小唄の会があって、知人の勧めで聴きにいったのだが、これがなかなか面白かった。「梅は咲いたか」「春風がそよそよと」「梅一輪」「春霞」と季節の小唄が並ぶ。もちろん素人衆もまじるから、時折、調子が外れたり糸が合わなかったりするけれど、それはそれでご愛嬌だった。とくに印象に残ったのが、若い女性二人に抱えられるようにして、舞台にあがった老婦人である。彼女は「殺した」「枯れた」渋い声で2曲を唄った。力量のほどは素人のワルシャワには判断しかねるが、這ってでも唄うという、その心意気が気に入った。
 終盤にはいり、家元が登場する。この方もお年を召しておられるが、舞台に座った姿の良さ、安定感はさすがだった。もちろん見事な糸さばきで、会場にいた多くの人が堪能したに違いない。
 昨今、日本らしい文化が消えかかっている。もちろん何を楽しもうと、何をやろうと個人個人の自由だから、とやかく言う筋合いのものではない。だが日本の伝統が、次々と消えていくことには一抹の寂しさと、怖さがある。
 ホテルからの帰り道、しとやかに糸を爪弾くお嬢さんたちとは対照的に、活発なおガキさまに出くわした。スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」の女子高生は、「バカいってんじゃねえよ」「うるせえんだよ」と楽しげに会話をしながら、つっかけた靴をベタベタいわせながら駅のほうへ走っていった。
 小唄のほかにも清元、義太夫長唄、新内などいろいろとあるのだが、少女たちは知っているかな?「そんなださいものしんない」と言われるだろうなぁ。