能に「百万」(ひゃくまん)という曲目がある。文学的主題の強いいい能だと思う。
季節は春、三月。場所は京都嵯峨の清凉寺である。子供をつれた吉野の人が大念仏にやってくる。そこに狂女の「百万」が出てきて、物狂いの状態で、別れ別れになった子を思う気持ちをのべる。ちなみに「狂女」というのは、マスコミが自主規制している「危痴害」という意味ではなく、「思いつめてひとつ事しか考えられなくなった人」のことである。
話を続ける。「百万」の語りを聴いた子供(吉野の人の連れ)が「百万」を自分の母だというので、吉野人は出身や物狂いになった理由を「百万」に尋ねる。「百万」は自らの苦難をるる物語り、それを聴いた吉野人は連れの子供と引き合わせる。「百万」は喜びの涙にむせびながら、親子つれだって奈良に帰っていくのだった……というような話。狂女ものの代表作で、百万回聴いてもいい曲目である。
ああ、能にまた行きたいなぁ。
唐突に「百万」という話をもってきましたが、その種明かしは明日できると思います(笑)。