内務官僚もバカだけれど

 昭和18年、黒澤明監督の第一作「姿三四郎」が完成する。当時は、監督が最初に作った映画を「監督試験」の対象として、内務官僚が試験官になって吟味をするそうだ。立ち合いは小津安二郎などそうそうたる映画監督なのだが、試験をするのはあくまでも内務官僚だった。このあたりを黒澤さんの『蝦蟇の油』から引く。
《それから、検閲官の論告がはじまった。すべて、例によって、米英的である、という論旨であった。特に、神社の階段のラヴ・シーン(検閲官はそう云ったが、あれはまだラヴ・シーンとは云えない。男と女が出会っただけだ)は、米英的である、というご託宣で、ぐだぐだ云っていた。》
姿三四郎」は名作である。誰が観ても名作は変わらない。しかし、内務官僚という極めて優秀な頭脳――かなり偏向した思考能力ではあるが――の持ち主には、名作とは観えず、微に入り細を穿って作品にケチをつけてくる。ここらの官僚的思考は、逆に驚かされる。心が「いい作品だ」と思っても、その思考で「これは悪い作品だ」と結論づけられる、そんなひねくれた思考ができることが驚異的だ。やはり内務官僚とはとてつもなく変な奴らである。
 結局、同席していた小津安二郎監督が、内務官僚をとりなして、黒澤明は晴れて映画監督となる。この時に腐れ官僚が、黒澤さんを落していたら、「七人の侍」も「用心棒」も「赤ひげ」も生まれなかった。もしかしたらこの木端役人は、世界の映画史を塗り替えてしまっていたかもしれない。能力のない人間が強大な力を持つ怖さを感じる。

 作家の百田尚樹さんが「特攻に反対を唱えた指揮官たち」という文章を『別冊正論』に上げている。その内容は、終戦間際になって突如、作戦と呼ぶことすら恥ずかしい「特攻」という愚行を、軍の高級官僚どもは採択をする。そして特攻をさせる部下にはこう言った。「俺も必ず後に続く」。そう言いながら、1人を例外にして、その他の軍高級官僚で「後に続いた者」はいなかった。

 今朝の新聞である。「森友学園」の問題で、官僚答弁に終始した現国税庁長官サヨク系から糾弾されている。そもそも行政機関は記録を残すところである。それが仕事といってもいいのに、「記録は破棄された」とか言ってしまうから阿呆なのだ。目先の答案用紙を埋めようとばかりするから愚をうってしまう。秀才君はだからダメなのだ。二手三手どころか二十手も三十手も先まで読んでこその「仕事」じゃないのか。
 まぁそれはそれとして、朝日新聞の社会面が笑える。現国税庁長官の「森友学園」発言に抗議するデモの写真が掲載されている。でもね、そこに写っているのは20に満たない人数で、そこを切り取っていかにもたくさんの人びとがデモに参加しているような印象操作をしている。もちろんロングでとればごく特定な「市民」しか来ていないことがばれてしまうので、そうしているわけだが、だったら参加人数を記載するとかしろよ。相変わらず紙面捏造のクセは治っていないようだな。

 高級官僚の愚を攻めるのなら、まずその嘘を並べる体質を正してからだろう。