アンギアーリの戦い

 ワシャの家にある資料では1440年に北イタリアであった「アンギアーリの戦い」は、検索が至難の業であった。『世界大百科事典』(平凡社)には載っていないし、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(岩波文庫)でも見つけられなかった。『世界の歴史』(中央公論社)にもない。『世界史年表』(吉川弘文館)、『詳細世界史』(山川出版社)でも「アンギアーリ」は出てなかった。
 ようやくそれらしき記述を発見したのは「レオナルド・ダ・ビンチ」に関する文献からだった。『LEONARDO』(TASCHEN)、2000年に発刊された美術書である。
《1440年、フィレンツェと法王の同盟軍がミラノ軍を小都市アンギアーリ付近で打ち破った勝戦》とある。ふ〜ん、イタリア・ルネサンス期の小国同士の小競り合いか。
 ネットで調べると、《アンギアーリの戦い(アンギアーリのたたかい、イタリア語: Battaglia di Anghiari)は、15世紀半ばのイタリアはトスカーナ地方のアンギアーリにて、フィレンツェ共和国軍とミラノ公国軍の間で行われた戦いである。》くらいは出てくる。なにしろイタリア北部ではフィレンツェが宿敵ミラノを破った重要な戦ではあるようだが、世界史的にはさしたる影響のない小戦だったろう。

 しかし美術史的には、大変な作品名なのだそうな。そのあたりはもう少し勉強してから日記に書こうっと。