小泉さんの黒星

 夕べは寒かったけど、楽しい宴があった。昔一緒に勉強をしていた(笑)仲間が集まってJR金山駅の東で飲んだんだけど、一人はインフルエンザでOUT、結果、3人で旧交をあたためた。広島産の牡蠣をポン酢とフライで食ったんだけど、これが美味かった。テッチリも寒い晩にはサイコーでした。

 それにしても栃ノ心はいい相撲を取っている。ジョージアの星よ、このまま順調に優勝までいってくれ。南信州出身の御嶽海が鶴竜を破ってようやく勝ち越した。よかったよかった。

 その相撲界についてこの人が発言した。小泉進次郎自民党副幹事長である。大相撲の行司個人個人がそれぞれの部屋に所属していることについて物申していた。
小泉進次郎氏、行司部屋付き「おかしくないですか」》
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201801220000662.html
 おかしくないです。
 小泉氏は、プロ野球に例えて「審判が球団付きだったらおかしいでしょ」と言っている。
 違います。部屋付きでいいです。
 この話をする小泉氏をテレビで見て、「ああこの人も大した政治家ではなかった」とあらためて思った。いくら男芸者の話だとしても、もう少し事実を知ってからものを言ったほうがいい。この軽さは従来の政治屋と変わりがないではないか。

 行司は「司」がついていることからもわかるように土俵の司会のようなものと考えればいい。会を司れば「司会」、土俵上の行いを司れば「行司」なのだ。そして小泉氏はプロ野球の審判と行司を同様に見なしているが、行司は審判ではない。確かに勝負の判定はするが、際どい一番で「引き分け」と見ても、絶対に「引き分け」という審判を下すことができない。「引き分け」すら宣言できないものが、厳密な意味での審判と言えますか?例えば同体で力士が土俵下に落っこちた。同体であるが、行司はどちらかの力士に軍配を挙げなければならない。「同体ではないか?」と異議を唱え審理して判断するのは5人の、まさに「勝負審判」なのである。ある意味で相撲は神事なので、神主のような役割と言ってもいい。
 だから小泉氏の言う「プロ野球の審判」とはまったく違うものである。神事を行うするものが、それぞれの部屋に所属していても問題はないし、そもそも厳密な審判は勝負審判に委ねられている。そんなことを言えば、勝負審判がそれぞれの部屋に所属することも、親方を兼ねることさえも「罷り成らぬ」ということになりかねない。そんなことを言い出せば、相撲の根幹を脅かすことになって「角を矯めて牛を殺す」までいってしまう。
 確かにエロ行司もいかんだろうし、暴力はさらにいけない。それを許す相撲協会の体質にも大いに問題がある。
 しかし、行司の「司る」ところまで政治家が口を出すのは、これまた問題だ。それを軽率に口に出してしまった小泉氏はいかにもだらしがなかった。
 エロ行司はいけない。だが行司がそれぞれの部屋に所属しているのはまったく問題がない。このことを、低レベルなモンゴル会での星のやりとり(あったかなかったか、証明するものはないが)とを同列で論じてはいけない。