屋根の上のヴァイオリン弾き

 友だちが名古屋公演に行くんですと。うらやましー。

 森繁久弥の主役で長く上演されてきた名作ミュージカルである。その以前は、ブロードウェイの舞台、さらにその前は7年もの間、地方都市で研鑽に研鑽を重ねて、磨かれてきたものだった。
この「屋根の上のヴァイオリン弾き」、シャガールと関係が深い。当時、ウクライナユダヤ人を主人公にミュージカルを制作しようとしていたプロデューサーたちがシャガール展に行き、《緑色のヴァイオリン弾き》を見たのである。これね。
https://www.musey.net/2738
 シャガールが描いたものは故郷のベラルーシユダヤ人村であり、「屋根ヴァイ」の舞台はウクライナユダヤ人村になる。場所は違えども、東欧のユダヤ人コミュニティはシュテットルと呼ばれおおむね似たような集落を形成していた。
 シャガールはヴァイオリンを弾く人物をしばしば描いている。とくに上記の絵、屋根の上で踊るようにヴァイオリンを弾く男の絵画を見て、「これだ!」と思ったんでしょうね。その瞬間に60年に及ぶロングランミュージカルの題名が決まった。

 ワシャの書棚に、森繁久弥さんの著書『人師は遭い難し』(新潮社)がある。表紙は、「屋根ヴァイ」の衣装を着けた森繁さんが踊っている絵だ。まるでシャガールの絵のように描かれている。これね。
https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E5%B8%AB%E3%81%AF%E9%81%AD%E3%81%84%E9%9B%A3%E3%81%97-%E6%A3%AE%E7%B9%81-%E4%B9%85%E5%BC%A5/dp/4103545011
 その中でこんなエピソードを語っておられる。
 森繁さん、帝国劇場の楽屋で、旧知の精神科の院長の訪問を受ける。その院長のが話したのは、30年以上入院している60代の患者が、なぜか、森繁さんの「屋根の上のヴァイオリン弾き」の新聞記事の切り抜きを手にして「これに行きたい」と言い出した、ということだった。これに森繁さんは応じ、その患者を帝国劇場に招待した。
 患者は、劇場まで院長に伴われてやって来たものの、緊張し、とまどっていた。そのあたりの院長の手紙を引く。
《彼の今回の人生の大半は鍵の中で、精神病院の生活は長い重苦しい哀しい自分との闘いの中に生きてきたのだと思います。そして自分との闘いにも破れ、喜びも悲しみも感動する心も見失い、冷たく心を閉し、ただ生きてきたのだと思います。》
 そんなこわばった心の状態で患者はシートに座っていた。しかし30分程すると「クスクス」と笑い声を上げ、1時間もすると他の客と一緒に拍手を始めた。クライマックスには院長よりも強く拍手をしながら涙を流していたという。
 心の闇に閉じこもっていた男に感情が戻った瞬間だった。

 演劇はいい。舞台はいい。ライブはいい。その中でも「屋根の上のヴァイオリン弾き」は名作と言っていい。