まだ谷崎

 夕べは蒸し暑かった。日中、職場の湿度は78%だった。夜、家に帰って湿度計を見れば80%を示していた。おいおい、アマゾンのジャングルではないんですぞ。もう速攻でエアコンを点けましたがな(泣)。

 さて、谷崎潤一郎をまだ引きずっている。
 谷崎家は家長の父親の才覚のなさで急速に窮乏していく。そのため谷崎は手広くホテルやレストランを経営している北村家に家庭教師兼使用人として住み込むことになる。このあたりのことを坂本葵さんはこう書く。
《ああ、羨ましくって羨ましくってたまらない。自分もああいううまそうなものをお腹いっぱい食べてみたい――。主人たちの食事を横目に見つつ、育ち盛りの少年はいつもそんなことばかりを考えていた。頭の中は食べ物のことで一杯だった。》
 主人一家と使用人である。食事には厳然たる差別が存在する。この体験が、谷崎が成功した後に、谷崎をして食魔たらしめる原動力になった。
 ワシャも食い物に関してこんな体験をした。谷崎少年と比べれば大したことはない話である。しかし半世紀以上前のことを今も記憶しているのだから印象は強かったのだろう。
 ある時、両親はワシャと妹を連れて海辺の旅館に出かけた。海水浴だったのかなぁ。そのあたりの記憶は曖昧である。唯一鮮明に覚えているのが夕食の時のことであった。海沿いの街の温泉街の二流の旅館だったので、それぞれの部屋で食事をするのではなく大広間で家族ごとに膳を並べる方式だった。そこに「ワルシャワ家」という札が立っていた。そこに座って周りを見渡すと、どう見ても他の家族のほうが2品くらい皿が多かった。明らかに配膳に差がついていることが子供ながらに解ってしまった。これはみじめだった。みじめというか気後れするというか……。それは両親にしても思い当たったようで、4人が無口になったことを思い出した。
 今、思い出しても、もう少し旅館サイドもやりようがあったのではないか。松の客と竹の客で部屋を丸ごと替えるとかね。こんな些細な差別でも心に刻まれる。谷崎少年は、これを毎日朝昼晩と思い知らされたわけだ。これはなかなか厳しい体験と言っていい。だから食に淫する情痴の怪物文豪が誕生するわけだね。成長期の環境の影響というものは恐ろしい。