先日、たまたま神保町を通りかかった。次の予定が入っていたので時間はそれほどない。でもね、矢口書店は素通りできません。なにしろ30年来のお付き合いですからな。だからちょいと寄ってみました。そこで見つけたのは『小津安二郎戦後語録集成』(フィルムアート社)だった。本棚をじっくり物色したわけではないが、すぐに目に飛び込んできた。もちろん速攻で購入した。500ページもある大部な書籍だったから、その後の移動の重いこと重いこと。
後日、ネットで調べてみると25年前の本なのですでに廃版になっていた。もちろんそれはそうだろうと思っていた。新刊はないだろう。
もうひとつ「日本の古本屋」のサイトで調べてみた。おおお、2冊ありましたぞ。全国に3冊しかない本をゲットしたのはうれしいなぁ。
市内の図書館で、成田龍一『戦後思想家としての司馬遼太郎』(筑摩書房)を発見した。基本的に「司馬遼太郎」とあれば何でも読むことにしている。奥付をみれば平成21年の出版だから、7年前か……。新聞広告や書店に並べば見逃すはずはないんだけどなぁ。評判にならなかったのかなぁ。とにかくスルーしていたなら読むしかないでしょ。
ということで読みはじめたら、これがなかなかおもしろい。司馬遼太郎初期の現代小説についての論評や、いわゆる「時代小説」「歴史小説」にどう転換していったのか、あるいは「司馬史観」なるものをどう構築していったかなどが、新たな視点から書かれている。司馬遼太郎の文章は膨大だ。そのそれぞれを吟味しながら堪能するためにはまことにいい指針となる本だと思う。
思うんだけど、図書館の本には書き込みができない。付箋は打てるんだけど、ラインが引けない。図書館の本なので風呂に持ち込むのも気が引けるし。
えーい、こうなったら買ってしまおう、そう思ってネットで検索すると、2009年の発行なのに本がない。すでに廃版になっていた。ゲゲゲ、ではやはり「日本の古本屋」しかないのか。あわてて調べてみると、なんと1冊だけ存在しているではあ〜りませんか。これを逃すと本は手に入らない。早速注文して、もちろん今手元にあるのだけれど、危なかった。ワシャが入手したことで、『戦後思想家としての司馬遼太郎』は流通の世界からは消えたということである。ワシャ的には「やれやれ」だが、新刊本が数年で消えていく現状には恐ろしいものがある。図書館にあるからまだ救いなのだが、とはいえ国民の活字離れがものすごい勢いで進んでいるような気がしてならない。