大概

 昨日、送別会。小規模なものだったがとても心地良い宴になった。送られる方も、楽しげに時を過ごしていただいたようでホッとしている。

 司馬遼太郎がこんなことを言っている。
「リーダーを命ぜられた者は、命令は大概大概にし、細部は部下に任せねばならない」
 司馬さんが、誰を念頭に置いているかというと、日露戦争の陸軍大将大山巌、海軍大将の東郷平八郎、野戦参謀総長児玉源太郎などである。彼らは部下に対して大概だった。
 とくに児玉源太郎は、上司の大山に対して緻密な補佐官であったにも関わらず、部下には大らかな上司であり続けた。司馬さんは「児玉の人格は、玄妙というほかない」とほめている。
 反対に大概でない人物も同時代にいた。山県有朋である。
「山県はこまごまとしたことを配下に指示し、人をすくませるようなところがあった。児玉は、山県が上にくるなら、幕僚たちや各軍の躍動した発想はしぼむだろうと思ったのである」
 だから児玉は、山県をけって大山を据える。参謀総長が上司の総司令官を選ぶというのも大概だが、それが当たった。ゆえに辛勝ながらも、大陸においてロシア帝国を退けることができた。
 大概でない山県が総司令官であった場合、部下は山県の顔色ばかりをうかがっていただろう。山県に叱られないため、担当レベルでは小さいミスをおそれる。つまり視野が狭くなる。その結果、全体の劣勢を把握できず、日本は戦争そのものに敗けてしまった可能性すらある。

 昨日の宴の主賓は、緻密な仕事をする人であった。しかし、大概なところも持ち合わせていた人である。だから、ささやかながら祝わせていただいた。