名コラム待望論

 もうどうでもいいとは思いますが(笑)、「週刊朝日」に掲載された北原みのり氏のコラム「『慰安婦』問題から見える地獄」について。

 前段は「慰安婦」に関する「日韓合意」について、「当事者の女性たちに知らされてないじゃないの!」と憤り、(憤るなら韓国政府に言えという話だが)、「日本は男の性欲にあまい社会ではないか?」と疑問を呈する。
 ここから後段。後段ののっけに《私は性欲を否定しているのではない。》と言う。おひおひ、「性欲」を否定したら人類は滅亡しまっせ(驚)。
 まぁいいや、否定していないんだから。
 北原氏、性欲は否定していない。しかし、《「男の性欲」に対する信仰心のようなものには、恐怖に近いものを感じる。》のだそうな。「ようなもの」というのは、また曖昧な言い方でゲスな。
 2日前の日記に書いたけど、北原氏の言う「信仰」とは、氏の文章を読む限り「男の性欲が女性の人権より優先していると信じたっとぶこと」である。
 そうかなぁ……。
 氏が「この社会」と言っているのは日本の社会のことですよね。それは前後の文章を読めば、そこを批判しているのは間違いない。だけど、世界の中で日本の社会が、それほどまでに女性の人権を蹂躙しているとは思えないのである。
 確かに「性」を売り物にしている人たちはいて、その需給が風俗産業を成立せしめている。最近はどういう形態が流行っているのか知らないので何とも言えないが、紙幣を握りしめてそういうところへ通う男は、今も昔も多かろう。
 ワシャは残念ながらその業界に足を踏み入れたことがないのでよく解らない。けれども、例えば、その業界に詳しい作家の東良美季さんが書かれているネット上の文章を読むと、必ずしも「男の性欲に対する信仰心」のようなものが「恐怖されるほど」に認識されているのかどうか。もちろん皆無だとは言わないが、どうも田島陽子氏とか福島瑞穂氏に代表される一部の人の妄想に影響を受けているのではないか。
 北原氏、「慰安婦」対して繰り返されてきた「暴言」とやらを羅列する。
「お金を払ったんだから、問題ない」
「性病を蔓延させないために必要だった」
「一般人を強姦しないために必要だった」
などなど。
 ことさらそのことを強調して、過去をほり返す必要もないと思うが、現実とはきちんと対峙すべきではないだろうか。すべてを引っ括って「暴言」と決めつけるのもいかがなものか。
 だが北原氏は、《いまだに性売買やポルノを肯定するために堂々と言われるものであるし、》と言い《さらに「男の自然な性欲」の犠牲にならないよう注意をされるのは(夜道を歩くなとか、ミニスカートをはくななど)女たちだ。》と、「だ」んじる。
 治安は悪化しているのか、それは分からないが凶悪な犯罪の報道は増えている。そんな時節に、娘に、愛する人に、「深夜に帰って来るならミニスカートはどうだろう?」と注意するのが、「信仰の犠牲」と言えるのか。ワシャが父親なら、彼氏なら、そう心配するのは当然だと思う。
 まことに微細なことを国家の問題にすり替えようという底意はないか。
 何度も読み返したので、ヘタな文章が染ってしまった。いやもともと下手だった(笑)。
 要するに、このコラムは支那中国、韓国の日本国家に対する批判をなぞったものに過ぎない。
 繰り返して言うけれども、亡くなられてしまった天野祐吉さんや、現役では『SPA』の勝谷誠彦さん、『エコノミスト』の日垣隆さんが書かれていた名コラムが読みたい。
 どこぞの思想(ってほどのものではないけれど)を借りてきて適当に字を並べただけの文章は要らない。