空海

 思考が空海という人物に引っ掛かっている。高村薫の『空海』(新潮社)が引き金となった。だから、空海関係の本を読み直している。
 ワシャは空海関連の文章では、やはり司馬遼太郎の『空海の風景』が断トツだと思っている。この題からしていい。「クーカイ」の「フーケイ」ですぞ。空海の存在した時間が、現在からあまりにも遠過ぎて、その声容を伝えるのは不可能だと、司馬さんは判断した。このため「想像の風景の中に点景としてでも空海が現われはしまいか」と思って書いたと、後に言われている。
 司馬さんの小説でも、高村さんのドキュメントでも、空海は天才である。もちろん1200年にわたって受け継いできた日本人のDNAの中にも、空海をスーパーマンと認める素地が織り込まれている。
弘法大師」である。あるいは「弘法様」、「お大師様」などいろいろな伝承が日本全国に語り継がれてきた。それがとりもなおさず、空海の天才性を示している。おそらく空海が入定するまでに、空海を見聞きしていた同時代人が、空海の存在に感動し、それを周囲に、後世に語ったことが現在の弘法伝説を形成している。
 遥かなる昔、奈良時代の後半に若い日々をおくり、平安時代の初期に活動をした人である。が、その人は未だに死んでおらず、高野山空海の廟所にこもったままでいる。
 司馬さんの『空海の風景』を読むまでは、弘法大師を聖人君子だと思っていた。ところが司馬さんの筆は、政略に長けたしたたかな空海を描き出している。企むこと、画策することに卓抜していた劇場型リーダーに、とても人間臭いものを感じる。
 その類型を現在に求めるとするならば、イメージとしては、元首相の田中角栄であろう。田中家に角栄東京大学へ進学させる財力があったなら、もしかしたら角栄は今太閤ではなく今空海になっていたかも知れない。だが、角栄の少年期青年期の労苦というものは生半なものではない。だからブルドーザーにはなれたが、空海にはなれなかった。それは豊臣秀吉にしてもそうだろう。秀吉も頭角を現すまでの辛酸は言語を絶していた。そういったものが、平安のブルドーザー空海にはない。讃岐佐伯氏という中程度の土豪の子弟に生まれ、幼少の頃からその秀才性を認められていた。このため、一族の期待を一身に集め、特別の待遇を受けていた。角栄や秀吉と比べ、その環境は恵まれており、だから角栄や秀吉のように曲がらなかったとも言える。
 とは言え、空海はその思考の底流に、中途半端な階級の期待をその身に当てられていたことによる「中間階級出身者にふさわしい山っ気と覇気」を持っていた。この気を生涯にわたって内包し続けたのである。これが歴代の名僧の中においても、傑出した魅力を見せ続けている要因であった。
 ここまでは前提。書きたかったのは昨日の話である。昨日、岡崎辺りをうろうろしていた。ちょいと時間ができたので、ブックオフを覗く。雑誌のコーナーで「演劇界」を何冊かと、元首相の細川護煕の日記があったので購入する。
 いつもならそれで通り過ぎるのだが、美術コーナーで「金剛峰寺」というキーワードが目の端をかすめた。このところ「空海」を読んでいたから「金剛峰寺」をキャッチしちゃいますわなぁ(泣)。「空海」が思考の外なら素通りできたものを。
『日本古寺美術全集』(集英社)、背には「金剛峰寺と吉野・熊野の古寺」とある。40cm×30cmの豪華箱入りの本を「どっこいしょ」と、取り出してみれば箱の装丁は、優しげなる「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%9F%9C%E7%BE%AF%E7%BE%85%E7%AB%A5%E5%AD%90
ではあ〜りませんか。こりゃ買うしかなかろう。金額は言わないけれど、1冊の重量が3.2キロもあった。本がつながっていくのはうれしいけれど、高いのと重いのはいささかつらい。