言葉を守る

 昨日の中日新聞の「中日春秋」である。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2015103102000134.html
 周恩来から「日中共通の漢字の略字をつくろう」という提案があったことを「起こし」にしてコラムが始まる。周恩来の提案を「了」とした政治家は、時の首相岸信介にそのことを伝える。
「そんな余計なことはする必要がない!」
と岸首相は一喝し、共同略字構想は葬り去られた。さすが岸さん、よく解っていらっしゃる。その後、支那中国は漢字の略語を導入し、漢字という4000年にわたる文化を壊してしまった。
 コラム氏は言う。
《日中、そして韓国は同じ漢字文化を共有してきた隣人だ。》
 かつてはそうだったかもしれない。しかし、朝鮮半島において漢字使用はほぼ消滅している。おそらく戦前に日本語教育を受けた80歳以上の中にわずかな漢字を覚えている人がいるくらいではないか。朝鮮半島では漢字は死んだと思っていい。
 それぞれの歴史の中で漢字文化は変容しているしまった。あえて、共通項を引っ張ってきて、「だから一緒なのよね〜仲良くしようね〜」とはいかに。
 
 かく言う日本ですら、戦後のGHQの教育方針により、漢字も含めて荒らされてきた。例えば、芥川龍之介に『枯野抄』という短編がある。8000字そこそこの短いもので「青空文庫」にもあるから読んでみていただきたいが、その中にこんな文章がある。
《こうして、古今に倫を絶した俳諧の大宗匠芭蕉庵松尾桃青(とうせい)は、「悲歎かぎりなき」門弟たちに囲まれた儘、溘然(こうぜん)として属硃(しょくこう)に就いたのである。》
 松尾芭蕉の臨終間際の一シーンである。芭蕉の枕元でわらわらと動揺する弟子たちの姿が短い文章の中に活写されている。この末尾である。
《「溘然として属硃に就いたのである。》
 これは解らない。同じ日本人の芥川龍之介が書いた文章なのだが、平成の日本人の何人が理解できるだろう。残念ながら「溘然」と「属硃」は『広辞苑』に載っていなかった。かろうじて『日本国語大辞典』にはあった。「にわかに」と「臨終」ということである。ことほどさように漢字、言葉と言うものは難しく、なくそうと思えば一世代で消えていくものなのである。だから大切にしたいと思うとともに、略字を使ったり、ヘンな記号に変えたりするところとは一緒になりたくないなぁと、コラムを読んで、そんなことを考えた。