好きな作家

 2月のこの時期は、ワシャの好きな作家の命日が続く。
 2月12日は司馬遼太郎、2月14日が山本周五郎、2月15日の今日、新田次郎が身罷っている。もちろんその他にも作家といわれる方々が亡くなっておられるが、とくにこのお三方の本は愛読しているし、蔵書も多い。

  司馬遼太郎については、この日記で触れまくっているので措いておく。新田次郎も何回か登場している。だから今回はあまり書いていない山本周五郎にスポットを当てたい。
 山本周五郎、時代小説家である。吉川英治山岡荘八などよりよほどおもしろいと思っている。一番最初にはまったのは、吉川英治だったんですよ。『宮本武蔵』に感動し、その後、全集を買ってしまったくらいだ。でもね、後に司馬遼太郎山本周五郎を読むようになってから、吉川を開くことはなくなって、全集もお蔵入りになっている。ワシャ的には、断然、周五郎のほうに気持ちが入るんですね。

 周五郎の小説は多くの映画にもなった。「五辧の椿」(野村芳太郎)、「赤ひげ」「どですかでん」(黒澤明)、「雨あがる」(小泉堯史)、「どら平太」(市川崑)……。もちろん大作家である。しかし、その作家人生は壮絶なものだった。大きな邸宅で、悠々自適な生活とは程遠いものだった。そのあたりを多田武志『山本周五郎を読み直す』(論創社)から引く。その文章は、門馬義久の文章から引いたものなので孫引きとなる。
《私は十三日の朝十一時ごろ『おごそかな渇き』の八回目の原稿を受け取りに仕事場を訪れた。十年ぶりの大雪でひどく寒い日だった。》
 十三日というのは、亡くなる前日のことで、仕事場というのは、横浜本牧の旅館のことである。
《山本さんは「原稿はできていない。かんべんしてくれ。二、三日ねむれない。腹はへっているんだが食欲がまったくない。と泣きそうな顔をしていた。》
 このころ周五郎は、肝炎が悪化し、心臓も衰弱していた。
《二日見ないうちに顔はむくみ、目はまっかだった。そして「人間は生きものだ。生きものは機械じゃない。小説は生きものの仕事だ」といいわけのようにつぶやき、水割りのウイスキーをなめていた。》
 これが周五郎最期の姿である。おそらく富も名声も得ていたはずなのに、なにがこの作家を孤独で悲惨な状況に追い込んだのであろうか。
 それはおそらく自分が目指した仕事に対して正直すぎたということではないだろうか。手を抜くということができなかった作家なのである。