志ん生の酒好きは有名だ。
関東大震災の時分、志ん生は本郷動坂に住んでいた。地震発生直後に志ん生が真っ先に駆け込んだのが近所の酒屋だった。地震後に酒がなくなるのを危惧してか「酒ェこぼして地面に飲ますのはもったいねェ。そんならあたいに売ってくれ」と酒屋に掛け合った。しかし世間はそんな状況ではなく、酒屋にしても自分の命が大切で、酒どころの騒ぎではない。「銭なんぞいらねえ。オレたちは逃げるから、師匠、好きなだけお呑みなさい」ということになる。
許可をえた志ん生は四斗樽の栓を開き、ひとりグイグイ呑んだという。しこたま呑んだ後、通りに出れば火災から逃げまどう人々で大騒ぎになっている。その狂騒の中、へべれけ志ん生は一升瓶を抱えて、千鳥足で自宅に帰ったという。なんともはや凄いもんだね。
志ん生はつるんで呑むのを嫌った人でもある。いつも独りで酒を楽しんだ。とくに常連は深川の『みの家』では、猥雑な座敷にちょこなんと座り、他の客には目もくれず小さなコップで菊正宗の冷酒(ひや)をやっている志ん生の表情は真剣だ。
ワシャは志ん生の著作『びんぼう自慢』(立風書房)を持っている。冒頭のエピソードもそこから引いた。同じ本の中に志ん生のこんな言いぐさが出てくる。
「あたしは、酒は好きだが、そんなにバカ呑みするほうじゃァない。一ぺんに一升五合も呑みゃァ、もう十分です」
そりゃァ師匠、凄いですよ。ワシャも酒は好きではあるが、四合も呑めばいい心持になっちまう。そんな師匠だから「芝浜」の魚屋勝五郎の酒びたりを演じて余りあるわけですね。
志ん生の半生記『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)にこんな言葉もある。
「人間てえものは、ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、本当の喜びも、おもしろさも、人のなさけもわかるもんじゃねえと思う」
志ん生師匠は本当の貧乏を知っている。だから志ん生の演る「芝浜」の女房に切実さがにじむ。そして志ん生とともに貧乏のどん底にあった、二人の息子は馬生、志ん朝という名人に成長している。「ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ……」志ん生の一言だけに説得力があらぁね。