楽観と悲観と

 コラムニストの勝谷誠彦さんが昨日の有料メールでイビチャ・オシム氏(元サッカー日本代表監督)のことを取り上げていた。1勝もできなかった日本はオシム氏の言葉を玩味したほうがいいと言う。
 オシムさんが何を言ったのか。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/06/27/kiji/K20140627008447930.html
《今大会でボスニアは、初出場、初得点、初勝利を記録したが、喜んでばかりいられない。初戦でアルゼンチンに惜敗したが、健闘した。いい試合だったからといって、喜んではいけない。繰り返すが「負けても喜ぶ習慣」をつけてはいけない。》
 これは母国のボスニア・ヘルツェゴビナに言っているのだが、そのまま日本にも当てはまる。帰国したザックジャパンのメンバーは、このことを肝に銘じているだろうが、応援した日本人も「負けても喜ぶ習慣」を身につけてはいけない。1勝もできなかった現実は受け止めよう、ということなのである。

 ここまでは前ふり。
 久々にオシム氏の言に触れて、手元にある何冊かのオシム本を読みなおしてみた。そうしたら、こんなフレーズに付箋が打ってあった。引いたのは『オシムが語る』(集英社)である。
「ポジティブに考えるのは結構なことだ。だが、この世には、ポジティブに考えるチャンスさえない人たちがたくさんいる。病気、貧しさ、搾取、戦争のせいで、苦しい生活を送っている人たち……そういう状況で、オプティミストでいるのはむずかしい。そのことを忘れてはいけない。人生は、オプティミストで通すには長すぎる」
 哲学者監督と言われたオシムは、自身のことをペシミストだと言い切る。たしかに宗教テロ、内戦、貧困、故国の分裂などを現場で体験しているサッカーマンは、そうならざるをえないのだろう。
 このところ102歳の医師、日野原重明さんについて書いているが、日野原さんは徹底したオプティミストであり、オシム氏はペシミストである。どちらも立派な人物なのだが、どうしてこうも違う考え方になるのだろう。
 それはこういうことではないだろうか。
 オシム氏は、サラエボの労働者居住区で生まれた。貧困の中で娯楽といえば疑似ボールで遊ぶサッカーくらいのものであった。オシム氏は言う。
「あの地域には社会的格差なんていうものもなかった。貧しいのは皆同じ、というわけだ」
 対して、日野原さんは、『(続)生きかた上手』(ユーリーグ)の中で、「子どものころの私にとって、クリスマスは一番の楽しみでした」と告白している。日野原さん、明治44年生まれなので、子供のころというと、大正時代ということになるのだが、その時代に「待ち焦がれたクリスマスの朝をようやく迎えて、靴下の中からキャラメルや、クレヨンや、小さなリンゴのプレゼントを見つけては、それに興奮したものです」てなことができる階級というのは、ごくごく恵まれた階層だけであろう。日野原さんの父親が牧師であったことを差し引いても、裕福な家庭で不自由なく育てられていることがわかる。
 日野原さんもオシム氏も、どちらも偉人に違いない。でもね、なぜか日野原さんの底の抜けたような楽天主義には、疑問符を持ってしまう。
「私は生まれついてのペシミスト。いつも最悪のことばかりを考えている。だからこそ、何が起きても、不意打ちを食らわずに済んでいるわけだが」
 とはいえ「最悪のことばかり考えている」オシム氏の心境にもなかなかなれるものではありまへん。まぁ凡人のワルシャワとしては、楽観したり悲観したりしながら世を過ごしていきましょうかい。