支那ソバの思い出

 ワシャはこの日記で「支那中国」という言い方をしている。これは、ワシャが尊敬してやまない評論家の呉智英さんの正論に触れて「なるほど!」と思ったからである。
 呉さんには『サルの正義』という名著がある。その中になぜ「支那」を「支那」と呼ぶのかということが、まことに論理的に説得力をもって書かれている。
 そもそも「支那」は差別語でもなんでもなく、世界共通語であり、そして美称でもある。中国文学者の青木正児(まさる)は『中華名物考』の中でこう言っている。
《「支那」とは古代の印度語で、完全には「支那泥舎」といい、省略して支那という。(中略)これを翻訳すれば「思維」という意味で、その国人が思慮が多から名づけたのであると説いた書もあり……》
尊称でもあるそれを、たまたま終戦後に極めてわずかな支那人が、自分たちのコンプレックスのみで騒いだ。それに驚いた気の小さいことなかれ主義の役人が通達を出して、安易に言葉を封殺してしまった。
 呉夫子曰く。
支那は多くの場合「支那」だった。「中国」と言えば、それは中国のことである。(中略)彼は中国人だから言葉に中国訛りがある、と言えば、彼は中国人じゃけえ中国の訛りがありよる、という意味であって、彼は支那人だから支那の訛りがある、という意味ではない。中国銀行も、中国放送も、中国新聞も、全部そうだ。支那の銀行や支那の放送局や支那の新聞社ではないのだ。》
 ワシャは中国地方に親戚、知り合いがいる。そこはこどもの頃から中国地方だった。支那は、近所に美味い「支那ソバ」を食べさせてくれる店舗があって、そこの「支那チク」が美味しかったので、尊敬の意味も込めて支那支那なのである。