無題

 このところちょいと忙しい。バタバタと走り回っている。大したことではないんですよ、自分のちっぽけなプライドを守ろうとしてじたばたしているだけなんです。なにが起きているかは、その内にお噺できると思います。
 
 明日の話をしよう。
 事件そのものは明治44年の今日にはじまる。その前に現在の漱石のおかれている状況を説明したい。
 明治43年6月に漱石胃潰瘍を患う。転地療養が必要ということで、伊豆修善寺にでかけるわけだが、そこで危篤におちいる。「修善寺の大患」と呼ばれるものなのだが、年があらたまって持ち直し、今日の段階では、東京の長与胃腸病院に入院中であった。それでも病状は安定し、おちついた入院生活をおくっていたに違いない。
 そこに文部省から連絡がはいる。漱石に「博士号を贈る」というものだった。しかし、漱石はそれを辞退することを夫人に伝えた。ところが文部省は、一方的に決定通知を送りつけ「受領にこい」と言ってきたのである。これに漱石は激怒した。明日である。21日に漱石は文部省あてに「博士号拒絶」の手紙を叩きつけたのだ。
 ううむ、さすが漱石、痛快だなぁ。その手紙が以下である。

《拜啓昨二十日夜十時頃私留守宅へ(私は目下表記の處に入院中)本日午前十時學位を授與するから出頭しろと云ふ御通知が參つたさうであります。留守宅のものは今朝電話で主人は病氣で出頭しかねる旨を御答へして置いたと申して參りました。
 學位授與と申すと二三日前の新聞で承知した通り博士會で小生を博士に推薦されたに就て、右博士の稱號を小生に授與になる事かと存じます。然る處小生は今日迄たゞの夏目なにがしとして世を渡つて參りましたし、是から先も矢張りたゞの夏目なにがしで暮したい希望を持つて居ります。從つて私は博士の學位を頂きたくないのであります。此際御迷惑を掛けたり御面倒を願つたりするのは不本意でありますが右の次第故學位授與の儀は御辭退致したいと思ひます。宜敷御取計を願ひます。 敬具》

 だが、文部省もお役所である。「すでに決定したことだから辞退は受け付けられぬ」の一点張りで、4月中旬まで漱石と文部省の押し問答が続く。これには漱石も辟易しただろうし、体調にも影響があったかもしれない。本人が要らないと言っているんだから、「はいさようでゲスか」と引っ込めればいいものを、ホントにお役所仕事だな。

 今朝の朝日新聞オピニオン欄に、作家の関川夏央さんの意見が載っている。その中で小津安二郎の映画「秋刀魚の味」の話が出てくる。
《妻に先立たれ、子どもたちも順番に家を出ていく老父を笠智衆が演じ、その寂しさが描かれます。》
もちろん小津映画なのでワシャは何度も観ているが、この元駆逐艦艦長の老父が57歳の設定だという。 およよ、ワシャとそう幾つも変わらないではないか。

 前述の漱石も、50歳で鬼籍に入っている。むむむ、まだ若い若いと思っていたけれど、もう少し自覚しないといけないということだな。

 締まらない最後ですいません(笑)。