正しい歴史認識

 ワシャがつねに心掛けていることがある。それは、なるべく歴史を客観的に認識しようということだ。「正しい歴史認識」ではない。「客観的な歴史認識」である。
 そもそも日支事変、大東亜戦争、太平洋戦争、それらを総括りして第二次世界大戦と呼ぶならそれでもいい。残念ながら、あの戦争に一方的な正義はなかった。戦勝国は、「悪いのはすべて日本である」と戦争責任をおっ被せたが、それは違う。あの戦争の因を求めれば、おそらく18世紀まで遡らなければなるまい。それほど世界史というものは、国と国が長期に影響しあい、複雑で細かいのである。
 保安官と悪漢が西部の町でばったり出会って悪漢は撃ち殺されましたとさ……というような単純な話ではない。幾層にも重なった複雑な事情があり、その上に国ごとに異なった価値観や考え方が絡んでくる。そこに利害が生じて様々な軋轢が生まれる。各国は己が権益を守ろうとして権謀術数を尽くした外交や裏取引を展開するのである。
 繰り返すが、善良な国がありました。悪い国がそこを攻めました。正義の国が悪い国をやっつけて、善良な国を助けました。そんなわけ、ねーだろ。

 昨日、友人から「アメリカに関しての本を紹介してくれないか」という電話があった。アメリカといってもいささか広うござんす。広いと言ったのは、もちろん面積もあるけれど、その分野においてという意味もある。
 友人は重ねて言った。
「これを読めばアメリカがざっとわかるような本ないかな」
ううむ、これは注文だなぁ。本棚をひっくり返して、取りあえず以下の三種四冊を紹介しておきましたぞ。

レオ・ヒューバーマン『アメリカ人民の歴史(上)・(下)』(岩波新書
池上彰『そうだったのか!アメリカ』(集英社
司馬遼太郎アメリカ素描』(読売新聞社

 もしアメリカがたどった歴史だけを押さえたいというなら、『詳細世界史』(山川出版社)、要するに高校の世界史の教科書ですね。この第11章以降を読んでおくだけでもずいぶん違う。

 さて、客観的な歴史認識をするために今日も読書に勤しむとしようっと。

 あ、いけねー忘れてた。
 今日はセントレアに行かなくっちゃいけなかったんだ。セントヘレナじゃありませんよ。それじゃぁ島流しになっちまう。どうやら本を読む暇なんてありませんな(泣)。