酒呑童子

 名古屋能楽堂の庭の緑が深い。それを空調のきいた休憩室の大窓から眺めるのは、また格別である。
 昨日のお能の番組は「俊寛」と「大江山」だった。「俊寛」は平清盛にクーデターを起こそうとして発覚し、鬼界ケ島に流される俊寛僧都の悲劇を描く。仲間を乗せた船が島を離れていくのを、俊寛が泣きながら見送っている場面で、一際高く笛の音が響いた。俊寛の絶望の叫びである。600年の時を越えて、世阿弥の台本に感動させられた。
これは歌舞伎でも人気演目の一つでもあり、そのためか判らないが、会場前に行列ができていた。
 
大江山」は、源頼光の鬼退治の話。丹波国大江山に棲む酒呑童子を退治せよという勅命が下り、頼光以下の武士(もののふ)たちが山伏に変装して山に分け入る。
 頼光らは、道に迷ったと嘘をついて、酒呑童子に一夜の宿を乞う。酒呑童子は、一行を歓待し、酒宴を張る。この時の面が「童子
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黒頭(くろがしら)をかぶり、鮮やかな唐織をまとう姿はまさに少年のよう。
 この演目は、お能の中でも動きがあり、演者も多いので退屈しない。酒呑童子と頼光らの立ち回りは見ものだし、作り物(舞台装置)も一畳台、大宮が使われるので、舞台はにぎやかだ。
 途中、地謡のお爺さんが、こっくりこっくりと舟を漕いでいるのには苦笑してしまった。
 狂言の「茶壺」は、成長著しい中村又三郎。この人の特徴ある顔立ちは、狂言師には打ってつけだと思う。又三郎の大げさな所作に、腹を抱えて笑ってしまった。
 繰返すが、時を越えて、人に感動や笑いを与える芸能があるというのは、文化の深さゆえであろう。日本の素晴らしさをまた実感した。