お疲れさまでした

 今朝の朝日新聞に平成24年の訃報一覧が掲載されている。
2月に歌舞伎俳優の中村雀右衛門丈が91歳で亡くなったときは、さほどのショックを受けなかったが12月の中村勘三郎丈の死は衝撃が大きかった。勘三郎の歌舞伎に長く親しんできただけに、その喪失感は未だ癒えない。
 2月、大平シローさんが55歳で亡くなった。平成5年の冬だったと記憶しているが、特急しらさぎに乗った時にシローさんと隣の席になったことがある。サブローとコンビを解散し、参議院議員選挙に落選した直後だったと思う。ずいぶん疲れた様子で車窓を過ぎていく北陸路の風景をぼんやりと見ていた。
大平シローさんですよね」
 と声をかけると、力なく笑って頷いた。いつも弾けたような元気な姿しか見たことがなかったので、テレビとは違うんだなぁ、と思ったものである。
 5月には映画監督の新藤兼人さんが100歳で鬼籍に入った。お亡くなりになる直前までその創作意欲は衰えず、映画を作ろうとしておられたそうだ。100歳にしてその気力たるや、真摯に見習わなければならない。
 その昔、素人仲間で映画の製作なんぞをやっており、シナリオの勉強にいそしんだこともあった。その時の教科書が新藤兼人さんの『シナリオの構造』(宝文館叢書)であったり、シナリオの通信講座では間接的ではあるが、映画『市民ケーン』のシナリオの分析でご教示をいただいたものである。
 寅さん映画のバイプレーヤーも次々と彼岸に去ってゆく。「おばちゃん」こと三崎千恵子さんが2月に。ある時は旅の雲水、ある時は神田の古書店主、いろいろな場面で個性的な役をこなされた大滝秀治さんは10月に亡くなられた。その後を追うようにして桜井センリさんが死去。桜井さんは牧師、公務員、僧侶、運転手、中華料理屋のオヤジなどなど準レギュラーと言っていい出演をされた。テキヤ仲間を演じた小沢昭一さんは、今月に入って西に旅立った。
 おや?11月に亡くなられた政治評論家の三宅久之さんの名前がない。山口美江さんや安岡力也さんが載っていて、保守論客として安倍総理にも強い影響を与えていた三宅さんが掲載されていないとは……。ま、朝日新聞だから仕方がないと言えば仕方がない。これが「偏向」ということである。
 三宅さんを始め日本の一時代を一所懸命に支えてこられた皆さん、長い間お疲れさまでした。