仏の災難

 仏像の故郷については、マトゥラーあるいはガンダーラ起源が有力である。
 マトゥラーはニューデリーの南120kmにあり、ヒンドゥー教の聖地のひとつになっている。古代、ここで仏教美術の華が開いた。
もう一つのガンダーラパキスタン北部のペシャワール周辺の地域である。ここでは「優塡(うでん)王の仏像」というレリーフが有名だ。
 その仏像発祥の地から目と鼻の先、ガンダーラから言えば隣の家の庭のような場所から仏教遺跡が発見された。その遺跡に関するニュースが今日の朝日新聞に掲載されている。朝日デジタルでは記事が見つからなかったので、CNNのほうで。
http://www.cnn.co.jp/world/35022160.html
 上記の写真を見ていただくと、仏像と脇侍2体が確認できる。3体とも顔が潰されているので、ここもイスラムの洗礼を受けたのかもしれない。過去のことは措いておく。現在の話である。これらの仏像があるのは、カブールにほど近いアイナクという町。ここで仏教寺院や仏像などの遺跡が見つかった。見つかったのはいいのだが、ここに支那中国企業が銅山開発で絡んでくる。もちろん金銭至上主義の支那中国企業に遺跡の保存などする気はさらさらあるまい。銅山開発が始まれば、あっというまに遺跡は地上から消える。
 バーミヤン峡谷の石仏が2001年にタリバンの手によって破壊されたことはまだ記憶に新しい。人為によって次々と貴重な仏教遺跡が失われていく。悲しいことだ。せめてアイナクの遺跡群は残せないものだろうか……。

 奇しくも、12月28日は、平清盛が南都興福寺を焼き打ちにした日である。反発を強める南都の僧徒に業を煮やした清盛が、重衡に命じて興福寺を攻めた。その余波を受けて、東大寺にも火の手が上がり、大仏殿もろとも毘盧遮那仏が焼け落ちてしまった。洋の東西を問わず、時代を問わず、人間と言うものは愚かなものだと、仏様が笑っておられよう。