北一輝(その2)

 北一輝のことである。
 明治16年に佐渡に生まれる。中学校を中退し、東京に出て早稲田の聴講生となる。早稲田の図書館に通いつめ大量の書籍を読破。翌年に大著『国体論及び純正社会主義』を執筆する。渡辺京二はこの著書を「北一輝のすべてである」と言い切っている。この一冊をもって北一輝を政治思想家たらしめているのだそうだが、非才なワシャにはわからない。
その後、北は中国革命同盟会に加わる。明治44年に辛亥革命が始まると中国に渡るが、どうやらこの渡航は北にいい効果を与えなかった。その部分を渡辺京二から引く。
《中国革命関与をとおして、彼はふたつの属性をあらたに身につけた。ひとつは浪人的性格で、これは二十三歳の彼には、まったく見られなかったものである。ひとつは国家規模的の策略をこととする蘇秦張儀的な献策家の性格で(中略)かつての『国体論及び純正社会主義』の著者と、とおくへだたった貌だちで現れるのは、この新しい属性のためである。概してこの十三年間の経験は、彼にろくでもないものを、より多くつけ加えたように思われる。》
 帰国後、種々の執筆活動や、老壮会・猶存会に参加するなどしたが 大きな成果を上げることはできなかった。
 昭和6年以降、陸軍青年将校との関係が深まり、西田税などを通じて、彼らのクーデター計画に思想的根拠を与えている。その延長線上に昭和11年2月26日がある。翌年の8月青年将校とともに銃殺刑を執行された。
 妻のスズが次のような言葉を書き残している。
《彼は結局、革命家でもなければ政治家でもない。学者でももちろんない。自分自身の生涯を一枚の絵のように綺麗に画きあげようと努力した芸術家ではなかったでしょうか》
 村上もとかのコミック『龍』の中に北一輝は登場する。北の去り際に、主人公の龍がこうつぶやく。
「まるで…芸術家のような武士(サムライ)や」